第1帖「桐壺」(9)いとこまやかにありさま問はせ

出典:国立国会図書館「NDLイメージバンク」

原文・語釈
いとこまやかにありさま
いとこまやかにありさま問はせたまふ。あはれなりつること忍びやかに奏す。御返り御覧ずれば、
「いともかしこきはおき所もはべらず。かかる仰せ言につけても、かきくらす乱り心地になむ」
荒き風ふせぎし陰の枯れしより小萩が上ぞ静心なき
などやうに乱りがはしきを、「心をさめざりけるほど」と御覧じゆるすべし。
いとかうしも見えじと思ししづむれど
いとかうしも見えじと思ししづむれど、さらにえ忍びあへさせたまはず、御覧じはじめし年月のことさへかき集め、よろづに思し続けられて、時の間もおぼつかなかりしを、かくても月日は経にけりと、あさましう思しめさる。
故大納言の遺言あやまたず
「故大納言の遺言あやまたず、宮仕への本意深くものしたりしよろこびは、かひあるさまにとこそ思ひわたりつれ、言ふかひなしや」
とうちのたまはせて、いとあはれに思しやる。
「かくても、おのづから若宮など生ひ出でたまはば、さるべきついでもありなむ。命長くとこそ思ひ念ぜめ」
などのたまはす。
かの贈り物御覧ぜさす
かの贈り物御覧ぜさす。「亡き人の住みか尋ね出でたりけむしるしの釵ざしならましかば」と思ほすも、いとかひなし。
尋ねゆくまぼろしもがなつてにても魂のありかをそこと知るべく
絵にかける楊貴妃のかたちは、いみじき絵師といへども、筆限りありければいとにほひ少なし。
大液芙蓉、未央柳も
大液芙蓉、未央柳も、げに通ひたりしかたちを、唐めいたるよそひはうるはしうこそありけめ、なつかしうらうたげなりしを思し出づるに、花鳥の色にも音にもよそふべき方ぞなき。
朝夕の言種に、「翼をならべ、枝をかはさん」と契らせたまひしに、かなはざりける命のほどぞ、尽きせずうらめしき。

現代語訳

帝は命婦に、それはもう事細かに更衣の実家の様子をお尋ねになります。命婦はまことに哀れであったことを、粛々と申し上げました。帝は母君からの御返事を御覧になると、
「これほどもったいない帝の御手紙は、悠長に置いておける場所もございません。このような仰せ言につきましても、真っ暗に思い乱れる心地でございます」
荒き風ふせぎし陰の枯れしより小萩が上ぞ静心なき
荒々しい風を防いでいた木蔭(更衣)が枯れた日から小萩(若宮)の身の上が不安で心静まることがありません
などというように無作法な返歌を、心を冷ませずにいた時のことと寛大に御覧になるでしょう。
帝は、「こうまでひどく取り乱すさまを決して見られてはなるまい」と思い鎮められますが、まったく隠しきれません。更衣を初めて御覧になった時からの思い出までかき集めて、次から次へと思い続けられます。ほんの少しの間も更衣を待ちきれなかったのが、このようなありさまでよくも月日を過ごせたものだと、驚きあきれるように思い召されるのでした。
「亡き更衣の父・大納言の遺言に背くことなく、宮仕えの志を深くまっとうしてくれたことへのお礼は、その甲斐があるようにと絶えず思い続けてきたのに、今となっては言っても仕方のないことよ」
と、帝はふと仰せになり、母君をたいそう哀れに思いやります。
「こうはなっても、そのうち若宮などが成長すれば、しかるべき機会もあろう。命長く、生きてさえいればと、一心に祈るとしよう」
などともおっしゃいます。
命婦は母君からの贈り物を帝に御覧に入れます。亡き人の住みかを探し出したという証のかんざしであったなら、とお思いになるのも甲斐のないことでした。
尋ねゆくまぼろしもがなつてにても魂のありかをそこと知るべく
亡き更衣の魂を探しに行く幻術士が現れてほしいものだ。伝説であっても魂のありかをそこと知ることができるように。
絵に描いた楊貴妃の容姿は、どんなに素晴らしい絵師であっても筆に限りがありますので、生身の色気には少々かないません。
太液池に咲く蓮の花のように艶やかなお顔、未央宮に伸びる柳のように細く美しい眉も、楊貴妃と更衣の容姿は実によく似通っていました。唐風の装いはさぞ麗しかったでしょうが、親しみやすく可愛らしかった更衣を思い出しますと、花鳥の色にも音にも例えようがないのです。
朝夕のあいさつ代わりに、
「翼をならべ、枝を交わそう」
とお約束なさいましたのに、かなわなかった命の定めが尽きないことを恨めしく思います。
