第1帖「桐壺」(9)いとこまやかにありさま問はせ

国貞『源氏香の図』
典:国会図書館「NDLイメージバンク」

原文・語釈

いとこまやかにありさま

 いとこまやかにありさまはせたまふ。あはれなりつることしのびやかにそうす。御返り御覧ずれば、

「いともかしこきはおきどころもはべらず。かかるおほことにつけても、かきくらすみだごこになむ」

  あらかぜふせぎしかげの枯れしよりはぎうへ静心しづこころなき

 などやうにみだりがはしきを、「心をさめざりけるほど」と御覧じゆるすべし。

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  • おきどころ【置き所・置き処】:身や心を置く場所。
  • かきくらす【き暗す】:悲しみに心を暗くする。悲しみに暮れる。
  • みだりごこち【みだ心地ここち】:みだした心の状態。
  • みだりがはし【みだりがはし】:みだ雑なようす。無作法だ。
  • ごらんじゆるす【御覧じ許す】:お逃しになる。おほ目にご覧になる。
  • しのびあへず【しのび敢へず】:耐えられない。隠しきれない。
  • ときのま【時の間】:ほんのちょっとの間。
  • おぼつかなし【覚束なし】:待ち遠しい。もどかしい。
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いとかうしもえじと思ししづむれど

 いとかうしもえじとおぼししづむれど、さらにえしのびあへさせたまはず、御覧じはじめし年月としつきのことさへかき集め、よろづにおぼし続けられて、時の間もおぼつかなかりしを、かくても月日はにけりと、あさましうおぼしめさる。

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  • しのびあへず【しのび敢へず】:耐えられない。隠しきれない。
  • ときのま【時の間】:ほんのちょっとの間。
  • おぼつかなし【覚束なし】:待ち遠しい。もどかしい。
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だいごんの遺あやまたず

「故だいごん遺言ゆいごむあやまたず、宮仕みやづかへの本意ほい深くものしたりしよろこびは、かひあるさまにとこそおもひわたりつれ、ふかひなしや」

 とうちのたまはせて、いとあはれにおぼしやる。

「かくても、おのづから若宮わかみやなどでたまはば、さるべきついでもありなむ。命長いのちながくとこそおもねんぜめ」

 などのたまはす。

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  • あやまたず【たず】:まちがいなく。ねらったとおりに。
  • よろこび【喜び・悦び・慶び】:お礼。
  • おもひわたる【おもひ渡る】:思い続ける。絶えず思う。
  • おひいず【生いず】:成長する。
  • ついで【序】:機会。
  • おもひねんず【おもひ念ず】:じっとこらえる。がまんする。一心に祈る。
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かの贈りもの御覧ぜさす

 かの贈りもの御覧ぜさす。「亡き人のみかたづでたりけむしるしのかむざしざしならましかば」とおもほすも、いとかひなし。

  たづねゆくまぼろしもがなつてにてもたまのありかをそことるべく

 にかける楊貴妃やうきひのかたちは、いみじき絵師といへども、筆かぎりありければいとにほひ少なし。

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  • しるし【証】:証拠。あかし。
  • まぼろし【幻】:幻術士。
  • もがな:⋯であればなあ。⋯があればなあ。
  • つて【伝て】:人づて。
  • かたち【容貌】:容貌。美人。美しい顔ち。
  • にほひ【匂ひ】:色つやのある美しさ。香り。
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おほ液芙蓉、未央柳も


大液芙蓉たいえきのふよう未央柳びやうのやなぎも、げにかよひたりしかたちを、からめいたるよそひはうるはしうこそありけめ、なつかしうらうたげなりしをおぼづるに、花鳥の色にもにもよそふべきかたぞなき。

 朝夕の言種ことくさに、「はねをならべ、枝をかはさん」とちぎらせたまひしに、かなはざりける命のほどぞ、尽きせずうらめしき。

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  • たいえきのふよう【太液芙蓉】:太液池の蓮の花のような顔。
  • びやうのやなぎ【未央柳】:未央宮の柳のような眉。
  • かよふ【かよふ】:似かよう。
  • なつかし【懐かし】:手放したくない。かわいい。いとしい。
  • らうたし:かわいい。いとしい。
  • よそふ【そふ・比ふ】:なぞらえる。たとえる。思い比べる。
  • ことくさ【くさ】:口ぐせ。
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現代語訳

桐の花

 帝は命婦みやうぶに、それはもう事細かに更の実家の様子をおたづねになります。命婦みやうぶはまことに哀れであったことを、粛々と申し上げました。帝は母君からの御返事を御覧になると、

「これほどもったいない帝の御手紙は、悠長に置いておける場所もございません。このような仰せにつきましても、真っ暗に思いみだれる心地ここちでございます」

  あらかぜふせぎしかげの枯れしよりはぎうへ静心しづこころなき

  荒々しい風を防いでいた木かげ(更)が枯れた日から小萩(若宮)の身の上が不安で心静まることがありません

 などというように無作法な返歌を、心をひやませずにいた時のことと寛おほに御覧になるでしょう。

 帝は、「こうまでひどくみだすさまを決してられてはなるまい」と思い鎮められますが、まったく隠しきれません。更を初めて御覧になった時からの思いまでかき集めて、次から次へと思い続けられます。ほんの少しの間も更を待ちきれなかったのが、このようなありさまでよくも月日をごせたものだと、驚きあきれるように思いされるのでした。

「亡き更の父・だいごんの遺に背くことなく、宮つかえの志を深くまっとうしてくれたことへのお礼は、その甲斐があるようにと絶えず思い続けてきたのに、今となってはってもつか方のないことよ」

 と、帝はふと仰せになり、母君をたいそう哀れに思いやります。

「こうはなっても、そのうち若宮などが成長すれば、しかるべき機会もあろう。命長く、生きてさえいればと、一心に祈るとしよう」

 などともおっしゃいます。

 命婦みやうぶは母君からの贈りものを帝に御覧に入れます。亡き人の住みかを探ししたという証のかんざしであったなら、とお思いになるのも甲斐のないことでした。

  たづねゆくまぼろしもがなつてにてもたまのありかをそことるべく

  亡き更の魂を探しにく幻術士が現れてほしいものだ。伝説であっても魂のありかをそことることができるように。

 絵に描いた楊貴妃の容姿は、どんなに素晴らしい絵師であっても筆にかぎりがありますので、生身の色気には少々かないません。

 太液池にく蓮の花のように艶やかなお顔、未央宮に伸びる柳のように細く美しい眉も、楊貴妃と更の容姿は実によく似かよっていました。唐風の装いはさぞ麗しかったでしょうが、親しみやすく可愛らしかった更を思いしますと、花鳥の色にも音にも例えようがないのです。

 朝夕のあいさつ代わりに、

「翼をならべ、枝を交わそう」

 とお約束なさいましたのに、かなわなかった命の定めが尽きないことを恨めしく思います。