第1帖「桐壺」

第1帖「桐壺」(9)いとこまやかにありさま問はせ

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国貞『源氏香の図』
出典:国立国会図書館「NDLイメージバンク」
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第1帖「桐壺」(8)月は入り方に
第1帖「桐壺」(8)月は入り方に

原文・語釈

いとこまやかにありさま

 いとこまやかにありさまはせたまふ。あはれなりつること忍びやかにそうす。御返り御覧ずれば、

「いともかしこきはおきどころもはべらず。かかるおほことにつけても、かきくらすみだごこになむ」

  あらかぜふせぎしかげの枯れしよりはぎうへ静心しづこころなき

 などやうにみだりがはしきを、「心をさめざりけるほど」と御覧じゆるすべし。

語釈
  • おきどころ【置き所・置き処】:身や心を置く場所。
  • かきくらす【掻き暗す】:悲しみに心を暗くする。悲しみに暮れる。
  • みだりごこち【乱り心地】:取り乱した心の状態。
  • みだりがはし【乱りがはし】:乱雑なようす。無作法だ。
  • ごらんじゆるす【御覧じ許す】:お見逃しになる。大目にご覧になる。
  • しのびあへず【忍び敢へず】:耐えられない。隠しきれない。
  • ときのま【時の間】:ほんのちょっとの間。
  • おぼつかなし【覚束なし】:待ち遠しい。もどかしい。

いとかうしも見えじと思ししづむれど

 いとかうしも見えじとおぼししづむれど、さらにえ忍びあへさせたまはず、御覧じはじめし年月としつきのことさへかき集め、よろづにおぼし続けられて、時の間もおぼつかなかりしを、かくても月日はにけりと、あさましうおぼしめさる。

語釈
  • しのびあへず【忍び敢へず】:耐えられない。隠しきれない。
  • ときのま【時の間】:ほんのちょっとの間。
  • おぼつかなし【覚束なし】:待ち遠しい。もどかしい。

故大納言の遺言あやまたず

「故大納言の遺言ゆいごむあやまたず、宮仕みやづかへの本意ほい深くものしたりしよろこびは、かひあるさまにとこそおもひわたりつれ、言ふかひなしや」

 とうちのたまはせて、いとあはれにおぼしやる。

「かくても、おのづから若宮わかみやなどでたまはば、さるべきついでもありなむ。命長いのちながくとこそおもねんぜめ」

 などのたまはす。

語釈
  • あやまたず【過たず】:まちがいなく。ねらったとおりに。
  • よろこび【喜び・悦び・慶び】:お礼。
  • おもひわたる【思ひ渡る】:思い続ける。絶えず思う。
  • おひいず【生い出ず】:成長する。
  • ついで【序】:機会。
  • おもひねんず【思ひ念ず】:じっとこらえる。がまんする。一心に祈る。

かの贈り物御覧ぜさす

 かの贈り物御覧ぜさす。「亡き人のみかたづでたりけむしるしのかむざしざしならましかば」とおもほすも、いとかひなし。

  たづねゆくまぼろしもがなつてにてもたまのありかをそこと知るべく

 にかける楊貴妃やうきひのかたちは、いみじき絵師といへども、筆限りありければいとにほひ少なし。

語釈
  • しるし【証】:証拠。あかし。
  • まぼろし【幻】:幻術士。
  • もがな:⋯であればなあ。⋯があればなあ。
  • つて【伝て】:人づて。
  • かたち【容貌】:容貌。美人。美しい顔立ち。
  • にほひ【匂ひ】:色つやのある美しさ。香り。

大液芙蓉、未央柳も


大液芙蓉たいえきのふよう未央柳びやうのやなぎも、げにかよひたりしかたちを、からめいたるよそひはうるはしうこそありけめ、なつかしうらうたげなりしをおぼづるに、花鳥の色にもにもよそふべきかたぞなき。

 朝夕の言種ことくさに、「はねをならべ、枝をかはさん」と契らせたまひしに、かなはざりける命のほどぞ、尽きせずうらめしき。

語釈
  • たいえきのふよう【太液芙蓉】:太液池の蓮の花のような顔。
  • びやうのやなぎ【未央柳】:未央宮の柳のような眉。
  • かよふ【通ふ】:似通う。
  • なつかし【懐かし】:手放したくない。かわいい。いとしい。
  • らうたし:かわいい。いとしい。
  • よそふ【寄そふ・比ふ】:なぞらえる。たとえる。思い比べる。
  • ことくさ【言種】:口ぐせ。
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第1帖「桐壺」(10)風の音、虫の音につけて
第1帖「桐壺」(10)風の音、虫の音につけて

現代語訳

桐の花

 帝は命婦に、それはもう事細かに更衣の実家の様子をお尋ねになります。命婦はまことに哀れであったことを、粛々と申し上げました。帝は母君からの御返事を御覧になると、

「これほどもったいない帝の御手紙は、悠長に置いておける場所もございません。このような仰せ言につきましても、真っ暗に思い乱れる心地でございます」

  あらかぜふせぎしかげの枯れしよりはぎうへ静心しづこころなき

  荒々しい風を防いでいた木蔭(更衣)が枯れた日から小萩(若宮)の身の上が不安で心静まることがありません

 などというように無作法な返歌を、心を冷ませずにいた時のことと寛大に御覧になるでしょう。

 帝は、「こうまでひどく取り乱すさまを決して見られてはなるまい」と思い鎮められますが、まったく隠しきれません。更衣を初めて御覧になった時からの思い出までかき集めて、次から次へと思い続けられます。ほんの少しの間も更衣を待ちきれなかったのが、このようなありさまでよくも月日を過ごせたものだと、驚きあきれるように思い召されるのでした。

「亡き更衣の父・大納言の遺言に背くことなく、宮仕えの志を深くまっとうしてくれたことへのお礼は、その甲斐があるようにと絶えず思い続けてきたのに、今となっては言っても仕方のないことよ」

 と、帝はふと仰せになり、母君をたいそう哀れに思いやります。

「こうはなっても、そのうち若宮などが成長すれば、しかるべき機会もあろう。命長く、生きてさえいればと、一心に祈るとしよう」

 などともおっしゃいます。

 命婦は母君からの贈り物を帝に御覧に入れます。亡き人の住みかを探し出したという証のかんざしであったなら、とお思いになるのも甲斐のないことでした。

  たづねゆくまぼろしもがなつてにてもたまのありかをそこと知るべく

  亡き更衣の魂を探しに行く幻術士が現れてほしいものだ。伝説であっても魂のありかをそこと知ることができるように。

 絵に描いた楊貴妃の容姿は、どんなに素晴らしい絵師であっても筆に限りがありますので、生身の色気には少々かないません。

 太液池に咲く蓮の花のように艶やかなお顔、未央宮に伸びる柳のように細く美しい眉も、楊貴妃と更衣の容姿は実によく似通っていました。唐風の装いはさぞ麗しかったでしょうが、親しみやすく可愛らしかった更衣を思い出しますと、花鳥の色にも音にも例えようがないのです。

 朝夕のあいさつ代わりに、

「翼をならべ、枝を交わそう」

 とお約束なさいましたのに、かなわなかった命の定めが尽きないことを恨めしく思います。

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第1帖「桐壺」(10)風の音、虫の音につけて
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保坂陽平(ヤンピン)
保坂陽平(ヤンピン)
福岡県宗像市在住。2024年9月から『源氏物語』の全訳に挑戦しています。10年がかりのライフワークです。
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