第1帖「桐壺」

第1帖「桐壺」現代語訳と原文(8)月は入り方に、空きよう澄みわたる

Fc1vaOy4reQd
前回はこちら
第1帖「桐壺」現代語訳と原文(7)くれまどふ心の闇も、耐へがたき片端を
第1帖「桐壺」現代語訳と原文(7)くれまどふ心の闇も、耐へがたき片端を

第1帖「桐壺」現代語訳(8)

 月の沈むころ、空は清らかに澄みわたり、風はすっかり涼しくなって、草むらの虫の声々が涙を誘うようであるのも、とても立ち離れがたい草のもとです。

  鈴虫のこゑの限りを尽くしても長き夜あかずふる涙かな

  鈴虫が声の限りを尽くして鳴いても、長い夜は明けることなく、飽きもせず降る涙よ

と命婦は歌を詠み、どうにも車に乗れずにいます。

  いとどしく虫のしげきあさ茅生ぢふに露おき添ふる雲の上人うへびと

  いっそう虫の音が密に重なり、浅茅が生い茂る庭に、涙をおき添える雲の上人よ

「うわ言の一つも申してしまいそうで⋯⋯」
 と、母君は女房から伝えさせました。

 風情のある贈り物などあるような状況でもないので、わずかに亡き更衣の御形見として、このような用もあるやもしれないと残しておいた御衣装の一式、御髪上げの日用品らしいものを添えられました。
 更衣に仕えていた若い女房たちは、更衣の死が悲しいことは改めて言うまでもなく、宮中への朝夕の出入りが習慣になっておりましたので、まことに心寂しい気持ちです。帝の御姿などを思い出して申し上げると、宮中へ早く参内なさってはとそそのかしているように聞こえますが、
「このような忌々しい身で若宮にお付き添いいたそうにも、さぞかし世間体が悪くつらいでしょう。また、若宮のお顔を拝めない日が少しでもあろうことが心から不安なのです」
 と思いなさるので、きっぱりと若宮を連れて参ることもできないのでした。

 宮中に戻った命婦は、帝がまだ御寝所に入っておられないのを気の毒に思います。帝は大変美しい盛りを迎えている中庭の草木の秋花を御覧になるふりをして、奥ゆかしい女房4~5人を仕えさせて、ひそやかにお話をしておられました。
 ここ数日の間、明けても暮れても御覧になっているのは、長恨歌の屏風絵。宇多天皇が絵師に描かせて、伊勢や貫之に歌を添えさせた絵です。その和歌にしても漢詩にしても、ただもう恋人との死別を悲しむ歌ばかりを、口ぐせのように話題にしていらっしゃいます。

第1帖「桐壺」原文(8)

月は入り方に、空きよう澄みわたる

 月はがたに、空きようみわたれるに、風いとすずしくなりて、草むらの虫の声々こゑごゑもよほしがほなるも、いと立ち離れにくき草のもとなり。

  鈴虫のこゑの限りを尽くしても長き夜あかずふる涙かな

 えも乗りやらず。

  いとどしく虫のしげきあさ茅生ぢふに露おき添ふる雲の上人うへびと

「かごとも聞こえつべくなむ」
 と、言はせたまふ。

語釈
  • もよほしがほ【催し顔】:うながすようなさま。誘う気配。
  • いとどし:ますます激しい。いよいよはなはだしい。ただでさえ⋯なのに、いっそう⋯だ。
  • あさぢ【浅茅】:丈の低い千萱。
  • あさぢふ【浅茅生】:浅茅が生えているところ。
  • かごと【託言】:恨みごと。ぐち。

をかしき御贈りものなどあるべき折にも

 をかしき御贈りものなどあるべきをりにもあらねば、ただかの御かたにとて、かかるようもやと残したまへりける御装束さうぞくひとくだり、ぐしげの調てうめくものへたまふ。
 若き人々、悲しきことはさらにも言はず、うちわたりを朝夕あさゆふにならひて、いとさうざうしく、うへの御ありさまなどおもできこゆれば、とくまゐりたまはんことをそそのかしきこゆれど、かくいまいましき身のひたてまつらんも、いとひとかるべし、また見たてまつらでしばしもあらむはいとうしろめたうおもひきこえたまひて、すがすがともえまゐらせたてまつりたまはぬなりけり。

語釈
  • みぐしあげ【御髪上げ】:貴人の髪を結うこと。
  • てうど【調度】:日常使う手道具。
  • さらにもいはず【更にも言はず】:改めて言うまでもない。
  • さうざうし:もの足りない。つまらない。
  • おもひいづ【思い出づ】:思い出す。
  • ひとぎき【人聞き】:世間の聞こえ。評判。
  • うしろめたし【後ろめたし】:心配だ。気がかりだ。
  • すがすが【清清】:とどこおりのないさま。すらすら。思い切りのよいさま。あっさり。

命婦は、まだ大殿らせたまはざりけると

 命婦みやうぶは、まだ大殿籠おほとのごもらせたまはざりけると、あはれに見たてまつる。まへ壺前栽つぼせんざいのいとおもしろきさかりなるを御覧ずるやうにて、忍びやかに心にくき限りの女房四五人さぶらはせたまひて、御物語りせさせたまふなりけり。
 このごろ、明け暮れ御覧ずる長恨歌ちやうごんかの御亭子院ていじのゐんのかかせたまひて、伊勢いせ貫之つらゆきに詠ませたまへる、大和やまとことをも、唐土もろこしの歌をも、ただそのすぢをぞ、枕言まくらごとにせさせたまふ。

語釈
  • おほとのごもる【大殿籠る】:おやすみになる。
  • つぼせんざい【壺前栽】:中庭に植えた草木。中庭の植え込み。
  • しのびやか【忍びやか】:人目につかないようにするさま。ひそやか。こっそり。
  • こころにくし【心憎し】:心ひかれる。奥ゆかしい。
  • ちゃうごんか【長恨歌】:白居易の漢詩。玄宗皇帝と楊貴妃との愛の悲劇をうたう。
  • ていじのゐん【亭子院】:宇多天皇の譲位後の後院。
  • いせ【伊勢】:『古今集』の歌人。女性。
  • つらゆき【貫之】:紀貫之。『古今集』の撰者・歌人。多くの屏風歌を作製した。
  • やまとことのは【大和言の葉】:和歌。
  • まくらごと【枕言】:いつも口にする話題。口癖のことば。
ABOUT ME
ヤンピン
ヤンピン
福岡県宗像市在住。2024年9月から『源氏物語』の全訳に挑戦しています。10年がかりのライフワークです。
記事URLをコピーしました