第1帖「桐壺」(5)はかなく日ごろ過ぎて

出典:国立国会図書館「NDLイメージバンク」

原文・語釈
はかなく日ごろ過ぎて
はかなく日ごろ過ぎて、後のわざなどにもこまかにとぶらはせたまふ。ほど経るままに、せむ方なう悲しう思さるるに、御方々の御宿直なども絶えてしたまはず、ただ涙にひちて明かし暮らさせたまへば、見たてまつる人さへ露けき秋なり。
「亡き後まで人の胸開くまじかりける人の御おぼえかな」
とぞ、弘徽殿などにはなほゆるしなうのたまひける。一の宮を見たてまつらせたまふにも、若宮の御恋しさのみ思ほし出でつつ、親しき女房、御乳母などを遣はしつつ、ありさまを聞こしめす。
野分だちて、にはかに肌寒き夕暮のほど
野分だちて、にはかに肌寒き夕暮のほど、常よりも思し出づること多くて、靫負命婦といふを遣はす。夕月夜のをかしきほどに出だし立てさせたまひて、やがてながめおはします。かうやうの折は、御遊びなどせさせたまひしに、心ことなるものの音をかき鳴らし、はかなく聞こえ出づる言の葉も、人よりはことなりしけはひかたちの、面影につと添ひて思さるるにも、闇のうつつにはなほおとりけり。
命婦かしこに参で、着きて門引き入るるより
命婦かしこに参で、着きて門引き入るるより、けはひあはれなり。やもめ住みなれど、人ひとりの御かしづきにとかくつくろひ立てて、めやすきほどにて過ぐしたまひつる、闇に暮れて臥し沈みたまへるほどに、草も高くなり、野分にいとど荒れたる心地して、月影ばかりぞ八重葎にも障らずさし入りたる。
南面に下ろして、母君もとみに
南面に下ろして、母君もとみにえものものたまはず。
「今まで、とまりはべるがいと憂きを、かかる御使の蓬生の露分け入りたまふにつけても、いと恥づかしうなん」
とて、げにえたふまじく泣いたまふ。
「参りてはいとど心苦しう、心肝も尽くるやうになむと、典侍の奏したまひしを、もの思うたまへ知らぬ心地にも、げにこそいと忍びがたうはべりけれ」
とて、ややためらひて仰せこと伝へきこゆ。

現代語訳

はかなく日々は過ぎてゆき、帝は七日法要などにも丁寧に弔問の使者を送られます。月日が経つままにやるせない悲しみに沈むばかりで、他の女御たちの夜のお仕えなどもすっかり絶えてしまいました。ただ涙に濡れて夜を明かす毎日で、そんな帝を拝する人々さえも涙の露でしめっぽい秋の気配です。
「亡き後まで人の胸をざわつかせる女の御追憶ですか」
とぞ、弘徽殿女御たちはなおも容赦なくおっしゃっています。帝は一の宮をご覧になる時でも、若宮への恋しい気持ちばかりが思い出されるありさま。親しい女房や乳母などを若宮のいる更衣の里へと遣わせて、若宮の様子を尋ねるのでした。
荒々しい風が吹いて、にわかに肌寒くなった秋の夕暮れ時、帝はいつにもまして思い出されることが多く、靫負命婦という使いを送りました。夕月が美しく光る空のもと出発させなさると、そのままもの思いにふけっておられます。
このような風情のある時節には、管絃の御遊びなどをお楽しみになったものです。やさしく美しい音色を奏でて、透き通った声で歌い出す言の葉も、更衣は他の人と違って特別でした。生前の雰囲気や姿の面影にじっと寄り添ってみても、闇の中で触れた現実の更衣にはやはり及びません。
命婦は謹んで更衣の実家へ参り、到着して車を門に引き入れると、もうすっかり物寂しい雰囲気が漂っています。更衣の母君は一人で暮らしていましたが、娘ひとりを大切に育て上げようとあれやこれやと繕い立てて、見た目に申し分ない程度には庭も手入れされておりました。しかし心が闇に暮れて沈んでいるうちに、草は高く伸び、野分の風で吹き倒されて、ひどく荒涼としたありさまです。月の光ばかりが、幾重にも生い茂ったつる草にも遮られず差し入っています。
母君は南側の部屋に命婦を招き入れますが、すぐには言葉が出てきません。
「今まで、わたし一人がこの世にとどまっていることがとても憂鬱で、このような御使いの方が、草深い露をかき分けてお入りになるにつけても、大変お恥ずかしいことでございます」
と言いいながら、涙をこらえきれずに泣いておられます。
「『こちらに伺いましたところ大変心苦しく、精神をえぐられるようでした』と、先に見舞った典侍が帝に申し上げておりました。わたしのような物事の情趣をわきまえない心持ちの者にも、まことにどうにも、感情を隠しきれないことでございます」
と、命婦は少々ためらいつつも、帝の御言葉をお伝え申しあげます。
