第1帖「桐壺」(2)初めよりおしなべての

出典:国立国会図書館「NDLイメージバンク」

原文・語釈
初めよりおしなべての
初めよりおしなべての上宮仕へしたまふべき際にはあらざりき。おぼえいとやむごとなく、上衆めかしけれど、わりなくまつはさせたまふあまりに、さるべき御遊びの折々、何ごとにもゆゑあることの節々には、まづ参う上らせたまふ。
ある時には大殿籠り過ぐして
ある時には大殿籠り過ぐして、やがてさぶらはせたまひなど、あながちに御前去らずもてなさせたまひしほどに、おのづから軽き方にも見えしを、この御子生まれたまひてのちはいと心ことに思ほしおきてたれば、
「坊にも、ようせずはこの御子の居たまふべきなめり」
と、一の御子の女御は覚し疑へり。人より先に参りたまひて、やむごとなき御思ひなべてならず、御子たちなどもおはしませば、この御方の諌めをのみぞなほわづらはしう、心苦しう思ひきこえさせたまひける。
かしこき御陰を頼みきこえながら
かしこき御陰を頼みきこえながら、おとしめ疵を求めたまふ人は多く、わが身はか弱くものはかなきありさまにて、なかなかなるもの思ひをぞしたまふ。
御局は桐壺なり。あまたの御方々を過ぎさせたまひて、ひまなき御前渡りに、人の御心を尽くしたまふもげにことわりと見えたり。
参う上りたまふにも、あまりうちしきる
参う上りたまふにも、あまりうちしきる折々は、打橋、渡殿のここかしこの道にあやしきわざをしつつ、御送り迎への人の衣の裾、耐へがたくまさなきこともあり。またある時には、え避らぬ馬道の戸をさし籠め、こなたかなた心を合はせて、はしたなめわづらはせたまふ時も多かり。
ことにふれて、数知らず苦しきこと
ことにふれて、数知らず苦しきことのみ増されば、いといたう思ひわびたるを、いとどあはれと御覧じて、後涼殿にもとよりさぶらひたまふ更衣の曹司をほかに移させたまひて、上局にたまはす。その恨みましてやらん方なし。

現代語訳

その人はもともと、普通の宮仕えをなさるような軽い身分ではありませんでした。後宮での評判はとても高く、貴人らしく振る舞っておられたのです。けれども、帝が節度を越えて側に付き添わせるあまり、宮中で催される管絃のお遊びや、何でも風情ある催し事があるたびに、真っ先にその人をお呼び寄せなさいます。ある時は日が高くなるまで一緒に寝過ごされ、その日もそのまま帝の側に仕えるなどということもあったのです。帝が一途にその人を側から離さないので、軽々しく扱われている身分に見えることもありました。
それがこの美しい若君がお生まれになってからは、たいそうな特別扱いを心に決めておられる様子です。第一皇子の母君は、
「悪くすると、この若君が皇太子になるかもしれない」
と疑い始めました。誰よりも先に後宮へ入り、帝の御寵愛も並大抵ではなく、第一皇子の他にも御子たちをお産みになった女御です。このお方のご意見だけはどうにも無視できず、帝は気がかりに感じておられました。
その人は尊い帝の御庇護を頼りにしておりましたが、上から目線で欠点をあら探しする女御たちが大勢います。体はか弱く、心は繊細な人でしたので、なまじ御寵愛を受けたばかりにかえって気苦労をなさいます。
更衣のお部屋は桐壺です。帝がいらっしゃる清涼殿から遠く離れており、桐壺へ通うには女御たちが待つ部屋の前をいくつも通る必要がありました。帝は途中の部屋に立ち寄ることなく、しかも足しげく通われるのですから、素通りされた女御たちが嫉妬するのはいかにも当然なことと思われます。
更衣が清涼殿へ参上される際も、あまりに頻繁に繰り返される場合には、殿舎へ渡る橋や廊下のあちこちに、えげつないいたずらを仕掛けられました。更衣の送迎に付き添う女房たちの着物の袖が、我慢ならないほどダメになってしまうこともあります。ある時には、どうしても通らないといけない通路の戸を閉じ、更衣一行の先頭側と後尾側とで息を合わせて鍵をかけ、その通路の間に閉じ込めたことも。このように更衣たちをいじめて、侮辱することが多かったのでした。
何かあるたびに、イジメは数えきれないほど増すばかり。更衣はもうどうしていいのかわからず、ひどく思い詰めておられました。その様子を「なんとかわいそうに」と御覧になった帝は、清涼殿の隣りにある後涼殿にもともと住んでいた更衣に、他の部屋へ移るよう命じます。そしてその部屋を桐壺更衣にお与えになり、清涼殿へ召された際の控えの部屋として使わせるようにしたのです。追い出された側の更衣は、恨みを晴らすすべもなく、途方に暮れたことでしょう。
