第1帖「桐壺」(17)源氏の君は、上の常に

国貞『源氏香の図』
典:国会図書館「NDLイメージバンク」

原文・語釈

源氏の君は、上の常にしまつはせば

 源氏の君は、うへの常にしまつはせば、心やすくさとみもえしたまはず。心のうちには、ただ藤壺ふぢつぼの御ありさまをたぐひなしとおもひきこえて、さやうならん人をこそめ、る人なくもおはしけるかな。大殿おほいとのの君、いとをかしげにかしづかれたる人とはゆれど、心にもつかずおぼえたまひて、をさなきほどの心ひとつにかかりて、いと苦しきまでぞおはしける。

[jinr_heading_iconbox1 title= ]
  • めしまつはす【し纏はす】:貴人が、愛する目下の人をお呼びせになり、側にいさせる。
  • さとづみ【里住み】:宮つかえをしている人が宮中から下がって自分の家でごすこと。
  • みる【る】:妻とする。
  • おほいとの【おほ殿】:おほ臣の敬称。
  • をかしげ【をかし気】:かわいらしくえるさま。
  • かしづく【傅く】:おほ切に育てる。
  • こころにつく【心に付く】:気にいる。心にかなう。
  • かかる【懸かる・掛かる】:すがる。
[/jinr_heading_iconbox1]

おほ人になりたまひて後は

 大人おとなになりたまひて後は、ありしやうに御簾みすうちにもれたまはず。御あそびの折々をりをりこと、笛のこえかよひ、ほのかなる御こゑなぐさめにて、内裏うちみのみこのましうおぼえたまふ。五六日さぶらひたまひて、おほい殿とのに二三日など、えにまかでたまへど、ただ今はをさなき御ほどに、つみなくおぼしなして、いとなみかしづききこえたまふ。

[jinr_heading_iconbox1 title= ]
  • おとな【おほ人】:元服を済ませた人。
  • みす【御簾みす】:貴人のいる部屋のすだれ。
  • あそび【遊び】:音楽をそうすること。管弦の楽しみ。
  • きこえかよふ【こえかよふ】:ご交際申し上げる。
  • たえだえ【絶え絶え】:絶えそうになりながら、わずかに続くさま。とぎれとぎれに。
  • おもひなす【おもひ為す】:推測する。
  • いとなみ【営み】:準備。用意。
[/jinr_heading_iconbox1]

御方々の人々、世中におしなべたらぬを

 御方々おんかたがたの人々、世中よのなかにおしなべたらぬをりととのへすぐりてさぶらはせたまふ。御心につくべき御あそびをし、おほなおほなおぼしいたつく。

[jinr_heading_iconbox1 title= ]
  • かたがた【方方】:おのおの方。源氏の君と姫君ひめぎみのそれぞれ。
  • おしなぶ【押し並ぶ】:ふつうだ。平凡だ。
  • えりととのふ【選り整ふ】:選びそろえる。
  • すぐる【選る】:慎重に選びす。精選する。
  • おほなおほな:我を忘れてひたすらに。精いっぱい。
  • おぼし【思し】:それらしくえるようす。
  • いたつく【労く】:苦労する。骨をる。世話をする。いたわる。
[/jinr_heading_iconbox1]

内裏うちにはもとの淑景舎を御曹司にて

 内裏うちにはもとのげいおんざうにて、はは御息所みやすんどころの御かたの人々、まかでらずさぶらはせたまふ。さと殿との修理すりしき内匠寮たくみづかさ宣旨せんじくだりて、なうあらたつくらせたまふ。

[jinr_heading_iconbox1 title= ]
  • しげいさ【淑景舎】:桐壺の間のおほやけ式な呼び方。
  • ざうし【曹司】:宮中に設けられた役人や女官などの部屋。
  • さとのとの【里の殿】:桐壺更の実家。
  • すりしき【修理すり職】:内裏うち修理すり造営をつかさどる役所。
  • たくみづかさ【内匠寮】:宮中の調ととの度の製作や殿舎の装飾などをつかさどった。
  • になし【二無し】:二つとない。比べるものがないほどに素晴らしい。
[/jinr_heading_iconbox1]

もとの木、山のたたずまひ

 もとのだち、山のたたずまひ、おもしろき所なりけるを、いけの心広くしなして、めでたくつくりののしる。かかる所に、おもふやうならん人をゑてまばやとのみ、なげかしうおぼしわたる。

 光君ひかるきみといふ名は、高麗こまうどのめできこえてつけたてまつりけるとぞ、つたへたるとなむ。

[jinr_heading_iconbox1 title= ]
  • こだち【木】:植木。
  • やま【山】:山の形に作ったもの。築山。
  • こころ【心】:中心。
  • しなす【為成す・為做す】:(ある状態に)つかてる。してしまう。
  • ののしる【罵る】:おほさわぎする。
  • おもひわたる【おもひ渡る】:思い続ける。
  • めづ【愛づ】:ほめる。
[/jinr_heading_iconbox1]
第1帖「桐壺」の全文はこちら

現代語訳

 源氏の君は、帝が常におせて側にいさせるので、ゆっくり姫君ひめぎみとおごしになることもできません。心のうちには、ただ藤壺の宮の御ありさまを世に類なき人と思われて、さようになるであろう人をこそ妻にしたいのですが、似る人もまあいらっしゃらないものです。
 左おほ臣殿の姫君ひめぎみは、いかにも姫君ひめぎみらしくおほ切に守られてきた人とはえますが、心にもかなわないと感じられて、をさなき頃に抱いた藤壺の宮への心一筋にすがって、ひどく苦しいまでに思い悩んでおられました。

 元服しておほ人になられた後は、帝は以前のように源氏の君を御簾みすのうちにもお入れになりません。管弦の御遊びの々には、藤壺の宮がそうでられることに、源氏の君が笛の音を合わせて心をかよわせなさり、ほのかに漏れる御声を慰めにして、宮中に住むことばかりが好ましく感じられます。

 5~6日は宮中におつかえなさって、左おほ臣家には2~3日など、とぎれとぎれにおいでになりますが、ただ今はをさないお年頃ですので、罪は犯していないだろうとお思いになって、身の回りの用意を丁重におもてなしなさるのです。源氏の君と姫君ひめぎみのそれぞれにつかえる女房たちは、世の中に並々でない者を慎重に選びそろえておつかえさせております。御心にとまりそうな御遊びを催しては、精いっぱいおつかえしている感じをせようと骨をるのでした。

 内裏うちではもとの桐壺更がお住まいであった淑景舎を源氏の君の御部屋にして、母御息所におつかえしていた女房たちを、散り散りにおいとまさせずにき続いておつかえさせます。

 母君の実家は修理すり職、内匠寮に宣旨が下り、世に二つとない派な改築工事を進めさせなさいます。もとの植木や築山の佇まいも趣深い所でありましたのを、池の中心を広くしてしまって、めでたく造り変える工事はおほさわぎです。源氏の君は、

「かような所に、思うような人をえて住みたいことよ」

 とばかり、嘆かわしく思い続けるのでした。

 光る君という名は、あの高麗こま人がご称賛を申し上げておつけになられた、とい伝えられていますとか。

第1帖「桐壺」の全文はこちら