【全文】第1帖「桐壺」原文（ルビ付き）

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【全文】第1帖「桐壺」現代語訳

いづれの御時にか

　いづれの御時おほんときにか、女御にようご、更かう衣いあまたさぶらひたまひける中に、いとやんごとなき際きはにはあらぬが、すぐれて時ときめきたまふありけり。はじめより、「我は」と思おもおもひ上あがりたまへる御方々かたがた、めざましきものにおとしめ嫉そねみたまふ。同じ程ほど、それより下げ臈らふの更かう衣いたちは、まして安やすからず。

　朝夕あさゆふの宮仕みやづかへにつけても、人の心こころをのみ動かし、恨うらみを負おふ積つもりにやありけむ、いとあづしくなりゆき、もの心こころ細ぼそげに里さとがちなるを、いよいよ飽あかずあはれなるものに思おもおもほして、人のそしりをもえ憚はばからせたまはず、世の例ためしにもなりぬべき御もてなしなり。

　上達かんだち部め、上人うへびとなどもあいなく目めを側そばめつつ、「いとまばゆき人の御おぼえなり。唐土もろこしにもかかることの起おこりにこそ、世も乱みだれあしかりけれ」と、やうやう天あめの下したにもあぢきなう人のもてなやみ種くさになりて、楊やう貴き妃ひの例ためしも引ひき出いでつべくなりゆくに、いとはしたなきこと多おほかれど、かたじけなき御心こころばへのたぐひなきを頼たのみにてまじらひたまふ。

　父ちちの大だい納な言ごんは亡なくなりて、母はは北きたの方かたなんいにしへの人の由よしあるにて、親おやうち具ぐし、さしあたりて世のおぼえ華はなやかなる御方々かたがたにもいたう劣おとらず、なにごとの儀ぎ式しきをももてなしたまひけれど、とりたててはかばかしき後見うしろみなければ、こととある時はなほ寄より所どころなく、心こころ細ぼそげなり。

　先さきの世にも御契ちぎりや深ふかかりけむ、世になくきよらなる玉の男をのこ御子みこさへ生まれたまひぬ。いつしかと心もとながらせたまひて、急いそぎ参まゐらせて御覧ずるに、めづらかなる児ちごの御容貌かたちなり。

　一の御子みこは右う大臣だいじんの女御にようごの御腹はらにて、寄よせ重おもく、疑うたがひなき儲まうけの君と世にもてかしづききこゆれど、この御にほひには並びたまふべくもあらざりければ、大方おほかたのやむごとなき御思おもおもひにて、この君をば私わたくし物ものに思おもおもほし、かしづきたまふこと限かぎりなし。

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第1帖「桐壺」（1）いづれの御時にか

初めよりおしなべての

　初めよりおしなべての上宮仕うへみやづかへしたまふべき際きはにはあらざりき。おぼえいとやむごとなく、上衆じやうずめかしけれど、わりなくまつはさせたまふあまりに、さるべき御遊あそびの折々をりをり、何ごとにもゆゑあることの節々ふしぶしには、まづ参まう上のぼらせたまふ。

　ある時には大殿籠おおとのごもり過すぐして、やがてさぶらはせたまひなど、あながちに御お前まへ去らずもてなさせたまひしほどに、おのづから軽かろき方かたにも見みえしを、この御子みこ生まれたまひてのちはいと心ことに思おもおもほしおきてたれば、

「坊ばうにも、ようせずはこの御子みこの居ゐたまふべきなめり」

　と、一の御子みこの女御にようごは覚おぼし疑うたがへり。人より先さきに参まゐりたまひて、やむごとなき御思おもおもひなべてならず、御子みこたちなどもおはしませば、この御方かたの諌いさめをのみぞなほわづらはしう、心こころ苦ぐるしう思おもおもひきこえさせたまひける。

　かしこき御陰かげを頼みきこえながら、おとしめ疵きずを求めたまふ人は多おほく、わが身はか弱くものはかなきありさまにて、なかなかなるもの思おもおもひをぞしたまふ。

　御局つぼねは桐壺きりつぼなり。あまたの御方々かたがたを過すぎさせたまひて、ひまなき御前渡まへわたりに、人の御心を尽くしたまふもげにことわりと見みえたり。

　参まう上のぼりたまふにも、あまりうちしきる折々をりをりは、打橋うちはし、渡殿わたどののここかしこの道にあやしきわざをしつつ、御送り迎への人の衣ぞきぬの裾すそ耐たへがたくまさなきこともあり。またある時には、えさらぬ馬め道だうの戸とをさし籠こもこめ、こなたかなた心を合はせて、はしたなめわづらはせたまふ時も多おほかり。

　ことにふれて、数知しらず苦しきことのみまされば、いといたう思おもおもひわびたるを、いとどあはれと御覧じて、後涼殿こうらうでんにもとよりさぶらひたまふ更かう衣いの曹ざう司しをほかに移させたまひて、上うへ局つぼねにたまはす。その恨うらみましてやらん方かたなし。

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第1帖「桐壺」（2）初めよりおしなべての

この御子みこ、三つになりたまふ年

　この御子みこ、三みつになりたまふ年、御袴着はかまぎのこと、一の宮のたてまつりしに劣らず、内蔵寮くらづかさ、納殿をさめどののものを尽くしていみじうせさせたまふ。

　それにつけても世のそしりのみ多おほかれど、この御子みこのおよすげもておはする御容貌かたち、心ばへ、ありがたくめづらしきまで見みえたまふを、え嫉そねみあへたまはず。ものの心知しりたまふ人は、

「かかる人も世に出いでおはするものなりけり」

　と、あさましきまで目をおどろかしたまふ。

　その年の夏、御息所みやすんどころみやすんどころはかなき心ここ地ちにわづらひて、まかでなんとしたまふを、暇いとまさらにゆるさせたまはず。年ごろ常の篤あづしさになりたまへれば、御目馴めなれて、

「なほしばし心こころみよ」

　とのみのたまはするに、日々に重おもりたまひて、ただ五六日のほどにいと弱よわうなれば、母君泣く泣く奏そうして、まかでさせたてまつりたまふ。かかる折をにも、あるまじき恥はぢもこそと心こころづかひして、御子みこをばとどめたてまつりて忍しのびてぞ出いでたまふ。

　限かぎりあれば、さのみもえとどめさせたまはず。御覧じだに送らぬおぼつかなさを言いふ方かたなく思おもおぼさる。

　いと匂にほひやかにうつくしげなる人の、いたう面おも痩やせて、いとあはれとものを思おもおもひしみながら、言ことに出いでても聞きこえやらず、あるかなきかに消え入りつつものしたまふを御覧ずるに、来きし方かた行ゆく末すゑを思おもおぼしめされず。

　よろづのことを泣く泣く契ちぎりのたまはすれど、御いらへもえ聞きこえたまはず、まみなどもいとたゆげにて、いとどなよなよと、我かの気色にて臥したれば、いかさまにと思おもし召めしまどはる。手車てぐるまの宣せん旨じなどのたまはせても、また入いらせたまひて、さらにえゆるさせたまはず。

「限かぎりあらん道にもおくれ先さき立だたじと契ちぎらせたまひけるを、さりともうち捨ててはえ行ゆきやらじ」

　とのたまはするを、女もいといみじと見みたてまつりて、

　　限かぎりとてわかるる道の悲しきにいかまほしきは命いのちなりけり

「いとかく思おもおもひたまへましかば」

　と息も絶えつつ、聞きこえまほしげなることはありげなれど、いと苦しげにたゆげなれば、かくながらともかくもならんを御覧じはてんと思おもおぼしめすに、

「今日けふ始むべき祈りども、さるべき人々うけたまはれる、今宵こよひより」

　と聞きこえ急がせば、わりなく思おもおもほしながらまかでさせたまふ。

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第1帖「桐壺」（3）この御子、三つになりたまふ年

御胸つとふたがりて

　御胸むねつとふたがりて、露つゆまどろまれず、明かしかねさせたまふ。御使つかひの行ゆき交ふほどもなきに、なほいぶせさを限かぎりなくのたまはせつるを、

「夜中うち過すぐるほどになん絶えはてたまひぬる」

　とて泣きさわげば、御使つかひもいとあへなくて帰り参まゐりぬ。聞きこしめす御心まどひ、何ごとも思おもおぼしめし分かれず、籠こもりおはします。

　御子みこはかくてもいと御覧ぜまほしけれど、かかるほどにさぶらひたまふ例なきことなれば、まかでたまひなんとす。

　何ごとかあらむとも思おもおぼしたらず、さぶらふ人びとの泣きまどひ、上うへも御涙のひまなく流れおはしますを、あやしと見みたてまつりたまへるを、よろしきことにだにかかる別れの悲しからぬはなきわざなるを、ましてあはれに言いふかひなし。

　限かぎりあれば、例の作さ法ほふにをさめたてまつるを、母北の方、

「同じ煙にのぼりなん」

　と泣きこがれたまひて、御送りの女房の車に慕ひ乗りたまひて、愛宕おたぎといふ所にいといかめしうその作さ法ほふしたるにおはしつきたる心地ここち、いかばかりかはありけむ。

「むなしき御骸からを見みる見みる、なほおはするものと思おもおもふがいとかひなければ、灰になりたまはんを見みたてまつりて、今は亡き人とひたぶるに思おもおもひなりなむ」

　とさかしうのたまへれど、車よりも落ちぬべうまろびたまへば、

「さは思おもおもひつかし」

　と、人々もてわづらひきこゆ。

　内裏うちより御使あり。三位みつの位くらゐ贈りたまふよし、勅使ちよくし来てその宣命せんみやう読むなむ悲しきことなりける。女御とだに言いはせずなりぬる、飽あかず口くち惜をしう思おもおぼさるれば、いま一刻ひときざみの位をだにと贈らせたまふなりけり。これにつけても憎みたまふ人々多おほかり。

　もの思おもおもひ知しりたまふは、さまかたちなどのめでたかりしこと、心ばせのなだらかにめやすく憎みがたかりしことなど、今ぞ思おもおぼし出いづる。さまあしき御もてなしゆゑこそすげなう嫉そねみたまひしか、人柄ひとがらのあはれに情なさけありし御心を、上うへの女房にようばうなども恋ここひしのびあへり。「なくてぞ」とはかかる折をりにやと見みえたり。

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第1帖「桐壺」（4）御胸つとふたがりて

はかなく日ごろ過すぎて

　はかなく日ごろ過すぎて、後のわざなどにもこまかにとぶらはせたまふ。ほど経ふるままに、せむ方かたなう悲しう思おもおぼさるるに、御方々かたがたの御宿との直ゐなども絶えてしたまはず、ただ涙にひちて明かし暮らさせたまへば、見みたてまつる人さへ露けき秋なり。

「亡きあとまで人の胸あくまじかりける人の御おぼえかな」

　とぞ、弘徽こき殿でんなどにはなほゆるしなうのたまひける。一の宮を見みたてまつらせたまふにも、若宮の御恋こひしさのみ思おもおもほし出いでつつ、親しき女房、御乳母などを遣はしつつ、ありさまを聞きこしめす。

　野の分わきだちて、にはかに肌寒き夕暮のほど、常よりも思おもおぼし出いづること多おほくて、靫負命婦ゆげひのみやうぶといふを遣つかはす。夕ゆふ月つく夜よのをかしきほどに出いだし立たてさせたまひて、やがてながめおはします。かうやうの折ををりは、御遊びなどせさせたまひしに、心ことなるものの音ねをかき鳴らし、はかなく聞きこえ出いづる言ことの葉はも、人よりはことなりしけはひかたちの、面影おもかげにつと添そひて思おもおぼさるるにも、闇やみのうつつにはなほおとりけり。

　命婦みやうぶかしこに参まで、着きて門かど引ひき入いるるより、けはひあはれなり。やもめ住ずみなれど、人ひとりの御かしづきにとかくつくろひ立たてて、めやすきほどにて過すぐしたまひつる、闇やみに暮れて臥ふし沈みたまへるほどに、草も高くなり、野の分わきにいとど荒れたる心ここ地ちして、月影ばかりぞ八重やへ葎むぐらにも障さはらずさし入いりたる。

　南みなみ面おもてに下ろして、母君もとみにえものものたまはず。

「今までとまりはべるがいと憂うきを、かかる御使つかひの蓬生よもぎふの露つゆ分け入いりたまふにつけても、いと恥はづかしうなん」

　とて、げにえたふまじく泣いたまふ。

「『参まゐりてはいとど心苦しう、心こころ肝ぎもも尽くるやうになむ』と、典侍ないしのすけの奏そうしたまひしを、もの思おもうたまへ知しらぬ心地ここちにも、げにこそいと忍しのしのびがたうはべりけれ」

　とて、ややためらひて仰おほせこと伝へきこゆ。

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第1帖「桐壺」（5）はかなく日ごろ過ぎて

しばしは夢かとのみたどられしを

「『しばしは夢かとのみたどられしを、やうやう思おもおもひ静しづまるにしも、さむべき方かたなく耐へがたきは、いかにすべきわざにかとも問ひ合はすべき人だになきを、忍しのびては参まゐりたまひなんや。若宮のいとおぼつかなく露けき中に過すぐしたまふも、心苦しう思おもおぼさるるを、とく参まゐりたまへ』

　などはかばかしうものたまはせやらず、むせ返かへらせたまひつつ、かつは人も心弱く見みたてまつるらんと、思おもおぼしつつまぬにしもあらぬ御けしきの心苦しさに、うけたまはり果はてぬやうにてなんまかではべりぬる」

　とて、御文ふみたてまつる。

「目も見みえはべらぬに、かくかしこき仰おほせ言ごとを光にてなむ」

　とて見みたまふ。

「ほど経へば少しうち紛まぎるることもやと、待ち過すぐす月日に添そへて、いと忍しのびがたきはわりなきわざになん。いはけなき人をいかにと思おもおもひやりつつ、もろともに育はぐくまぬおぼつかなさを、今はなほむかしの形かた見みになずらへてものしたまへ」

　などこまやかに書かせたまへり。

　　宮みや城野ぎのの露つゆ吹ふきむすぶ風の音おとに小こ萩はぎがもとを思おもおもひこそやれ

　とあれど、え見みたまひ果はてず。

「命いのち長ながさの、いとつらう思おもおもうたまへ知しらるるに、松まつの思おもおもはんことだに恥はづかしう思おもおもうたまへはべれば、ももしきに行ゆきかひはべらんことはまして、いと憚はばかり多おほくなむ。かしこき仰おほせ言ごとをたびたびうけたまわりながら、みづからはえなむ思おもおもひたまへ立たつまじき。

　若宮わかみやはいかに思おもおもほし知しるにか、参まゐりたまはんことをのみなん思おもおぼし急ぐめれば、ことわりに悲しう見みたてまつりはべるなど、うちうちに思おもおもうたまへるさまを奏そうしたまへ。ゆゆしき身にはべれば、かくておはしますもいまいましうかたじけなくなむ」

　とのたまふ。宮みやは大殿おほとの籠ごもりにけり。

「見みたてまつりて、くはしう御ありさまも奏そうしはべらまほしきを、待ちおはしますらんに、夜ふけはべりぬべし」

　とて急ぐ。

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第1帖「桐壺」（6）しばしは夢かとのみたどられしを

くれまどふ心の闇も

「くれまどふ心の闇やみも、耐たへがたき片端かたはしをだに晴はるくばかりに聞きこえまほしうはべるを、私わたくしにも心のどかにまかでたまへ。年としごろ、うれしく面おも立ただたしきついでにて立たち寄よりたまひしものを、かかる御消息せうそこにて見みたてまつる、かへすかへすつれなき命いのちにもはべるかな。

　生まれし時より思おもおもふ心ありし人にて、故大だい納な言ごんいまはとなるまで、

『ただ、この人の宮仕みやづかへの本意ほい、かならず遂とげさせたてまつれ。われ亡なくなりぬとて口くち惜をしう、思おもおもひくづほるな』

　と、かへすかへす諌いさめおかれはべりしかば、はかばかしう後見うしろみ思おもおもふ人もなき交まじらひは、なかなかなるべきことと思おもおもひたまへながら、ただかの遺言ゆいごむを違たがへじとばかりに、出いだし立たてはべりしを、身にあまるまでの御心ざしの、よろづにかたじけなきに、人ひと気げなき恥はぢを隠かくしつつ交まじらひたまふめりつるを、人のそねみ深く積り、安からぬこと多おほくなり添そひはべりつるに、横様よこさまなるやうにてつひにかくなりはべりぬれば、かへりてはつらくなむ、かしこき御心ざしを思おもおもひたまへられはべる。これもわりなき心の闇やみになん」

　と、言いひもやらずむせ返かへりたまふほどに夜もふけぬ。

「上うへもしかなん。

『わが御心ながら、あながちに人目おどろくばかり思おもおぼされしも、長ながかるまじきなりけりと、今はつらかりける人の契ちぎりになむ世に、いささかも人の心をまげたることはあらじと思おもおもふを、ただこの人のゆゑにて、あまたさるまじき人のうらみを負おひしはて、はてはかううち捨てられて、心をさめむ方かたなきに、いとど人わろうかたくなになりはべるも、先の世ゆかしうなむ』

　とうち返かへしつつ、御しほたれがちにのみおはします」

　と、語りて尽きせず。泣く泣く、

「夜いたうふけぬれば、今宵こよひ過すぐさず、御返かへり奏そうせむ」

　と、急ぎまゐる。

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第1帖「桐壺」（7）くれまどふ心の闇も

月は入り方に

　月は入いり方がたに、空きよう澄すみわたれるに、風いと涼すずしくなりて、草むらの虫の声々こゑごゑもよほし顔がほなるも、いと立たち離れにくき草のもとなり。

　　鈴虫の声こゑの限かぎりを尽くしても長き夜あかずふる涙かな

えも乗りやらず。

　　いとどしく虫の音ねしげき浅あさ茅生ぢふに露おき添そふる雲の上人うへびと

「かごとも聞きこえつべくなむ」

　と、言いはせたまふ。

　をかしき御贈りものなどあるべき折をりにもあらねば、ただかの御形かた見みにとて、かかる用ようもやと残したまへりける御装束さうぞく一ひとくだり、御み髪ぐし上あげの調ととのてう度どめくもの添そへたまふ。

　若き人々、悲しきことはさらにも言いはず、内うちわたりを朝夕あさゆふにならひて、いとさうざうしく、上うへの御ありさまなど思おもおもひ出いできこゆれば、とく参まゐりたまはんことをそそのかしきこゆれど、かくいまいましき身の添そひたてまつらんも、いと人ひと聞きぎき憂うかるべし、また見みたてまつらでしばしもあらむはいとうしろめたう思おもおもひきこえたまひて、すがすがともえ参まゐらせたてまつりたまはぬなりけり。

　命婦みやうぶは、「まだ大殿籠おほとのごもらせたまはざりける」と、あはれに見みたてまつる。御お前まへの壺前栽つぼせんざいのいとおもしろき盛さかりなるを御覧ずるやうにて、忍しのびやかに心にくき限かぎりの女房四五人さぶらはせたまひて、御物もの語りせさせたまふなりけり。

　このごろ、明け暮れ御覧ずる長恨歌ちやうごんかの御絵ゑ、亭子院ていじのゐんのかかせたまひて、伊勢いせ、貫之つらゆきに詠ませたまへる、大和やまと言ことの葉はをも、唐土もろこしの歌をも、ただその筋すぢをぞ、枕言まくらごとにせさせたまふ。

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第1帖「桐壺」（8）月は入り方に

いとこまやかにありさま問はせ

　いとこまやかにありさま問とはせたまふ。あはれなりつること忍しのびやかに奏そうす。御返り御覧ずれば、

「いともかしこきはおき所どころもはべらず。かかる仰おほせ言ことにつけても、かきくらす乱みだり心ごこ地ちになむ」

　　荒あらき風かぜふせぎし陰かげの枯れしより小こ萩はぎが上うへぞ静心しづこころなき

　などやうに乱みだりがはしきを、「心をさめざりけるほど」と御覧じゆるすべし。

　いとかうしも見みえじと思おもおぼししづむれど、さらにえ忍しのびあへさせたまはず、御覧じはじめし年月としつきのことさへかき集め、よろづに思おもおぼし続けられて、時の間もおぼつかなかりしを、「かくても月日は経へにけり」と、あさましう思おもおぼしめさる。

「故大だい納な言ごんの遺言ゆいごむあやまたず、宮仕みやづかへの本意ほい深くものしたりしよろこびは、かひあるさまにとこそ思おもおもひわたりつれ、言いふかひなしや」

　とうちのたまはせて、いとあはれに思おもおぼしやる。

「かくても、おのづから若宮わかみやなど生おひ出いでたまはば、さるべきついでもありなむ。命長いのちながくとこそ思おもおもひ念ねんぜめ」

　などのたまはす。

　かの贈り物もの御覧ぜさす。「亡き人の住すみか尋たづね出いでたりけむしるしの釵かむざしざしならましかば」と思おもおもほすも、いとかひなし。

　　尋たづねゆくまぼろしもがなつてにても魂たまのありかをそこと知しるべく

　絵ゑにかける楊貴妃やうきひのかたちは、いみじき絵師といへども、筆限かぎりありければいとにほひ少なし。大液芙蓉たいえきのふよう、未央柳びやうのやなぎも、げに通かよひたりしかたちを、唐からめいたるよそひはうるはしうこそありけめ、なつかしうらうたげなりしを思おもおぼし出いづるに、花鳥の色にも音ねにもよそふべき方かたぞなき。

　朝夕の言種ことくさに、「翼はねをならべ、枝をかはさん」と契ちぎらせたまひしに、かなはざりける命のほどぞ、尽きせずうらめしき。

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第1帖「桐壺」（9）いとこまやかにありさま問はせ

風の音、虫の音につけて

　風かぜの音おと、虫むしの音ねにつけて、もののみ悲しう思おもおぼさるるに、弘徽こき殿でんには、久しく上うへの御局つぼねにも参まう上のぼりたまはず、月のおもしろきに、夜よふくるまで遊あそびをぞしたまふなる、いとすさまじうものしと聞きこしめす。

　このごろの御けしきを見みたてまつる上人うへびと、女房などは、かたはらいたしと聞ききけり。いとおし立たちかどかどしき所ものしたまふ御方にて、ことにもあらず思おもおぼし消ちてもてなしたまふなるべし。

　月も入いりぬ。

　　雲の上うへも涙に暮くるる秋の月いかで住むらむ浅茅生あさぢふの宿

　思おもおぼしめしやりつつ、灯火ともしをかかげ尽くして起きおはします。右近の司つかさの宿直とのゐ申まうしの声こゑ聞きこゆるは、丑うしになりぬるなるべし。人目を思おもおぼして、夜よるの御殿おとどに入いらせたまひても、まどろませたまふことかたし。

　朝あしたに起きさせたまふとても、「明あくるも知しらで」と思おもおぼし出いづるにも、なほ朝あさまつりごとは怠おこらせたまひぬべかめり。

　ものなども聞きこしめさず、朝餉あさがれひのけしきばかり触れさせたまひて、大床子だいしやうじの御お膳ものなどはいとはるかに思おもおぼしめしたれば、陪膳はいぜんにさぶらふ限かぎりは心苦ぐるしき御けしきを見みたてまつり嘆なげく。すべて、近ちかうさぶらふ限かぎりは、男をとこ、女をんな、

「いとわりなきわざかな」

　と言いひ合はせつつ嘆なげく。

「さるべき契ちぎりこそはおはしけめ。そこらの人のそしり、うらみをも憚はばからせたまはず、この御ことに触れたることをば道だう理りをも失はせたまひ、いまはた、かく世中よのなかのことをも思おもおもほし捨てたるやうになりゆくは、いとたいだいしきわざなり」

　と、人のみかどの例ためしまで引ひき出いで、ささめき嘆なげきけり。

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第1帖「桐壺」（10）風の音、虫の音につけて

月日経て、若宮参まゐりたまひぬ

　月日経へて、若宮参まゐりたまひぬ。いとどこの世のものならず、きよらにおよすげたまへれば、いとゆゆしう思おもおぼしたり.

　明あくる年としの春、坊定ばうさだまりたまふにも、いと引ひき越こさまほしう思おもおぼせど、御後見うしろみすべき人もなく、また、世のうけひくまじきことなりければ、なかなか危ふく思おもおぼし憚はばかりて、色にも出いださせたまはずなりぬるを、

「さばかり思おもおぼしたれど、限かぎりこそありけれ」

　と、世よ人ひとよひとも聞きこえ、女御も御心おちゐたまひぬ。

　かの御祖母おば北きたの方かた、慰なぐさむ方かたなく思おもおぼし沈しづみて、おはすらん所にだに尋たづね行ゆかむと願ねがひたまひししるしにや、つひにうせたまひぬれば、またこれを悲しび思おもおぼすこと限かぎりなし。

　御子みこ六むつになりたまふ年としなれば、このたびは思おもおぼし知しりて恋ここひ泣きたまふ。年としごろ、馴なれむつびきこえたまひつるを、見みたてまつり置く悲しびをなむ返かへす返かへすのたまひける。

　今は内うちにのみさぶらひたまふ。七ななつになりたまへば、読書ふみ始はじめなどせさせたまひて、世に知しらず聡さとう賢かしこくおはすれば、あまりおそろしきまで御覧ず。

「今は誰たれも誰たれもえ憎にくみたまはじ。母君なくてだにらうたうしたまへ」

　とて、弘徽こき殿でんなどにも渡らせたまふ御供には、やがて御簾みすの内に入いれたてまつりたまふ。いみじき武士もののふ、あたかたきなりとも、見みてはうち笑ゑまれぬべきさまのしたまへれば、えさし放はなちたまはず。

　女御子をんなみこたち二ふた所ところ、この御腹はらにおはしませど、なずらひたまふべきだにぞなかりける。御方々おんかたがたも隠れたまはず、今よりなまめかしう恥はづかしげにおはすれば、いとをかしう打ちとけぬ遊あそび種くさに、誰たれも誰たれも思おもおもひきこえたまへり。

　わざとの御学問がくもんはさるものにて、琴こと、笛の音ねにも雲くも居ゐを響ひびかし、すべて言いひ続けばことごとしう、うたてぞなりぬべき人の御さまなりける。

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第1帖「桐壺」（11）月日経て、若宮参りたまひぬ

そのころ、高麗こま人の参まゐれるなかに

　そのころ、高麗こま人うどの参まゐれるなかに、かしこき相人さうにんありけるを聞きこしめして、宮の中うちに召めさんことは宇多うだのみかどの御誡いましめあれば、いみじう忍しのびてこの御子みこを鴻臚館こうろくわんに遣つかはしたり。

　御後見うしろみだちて仕つかうまつる右う大弁だいべんの子のやうに思おもおもはせて、率ゐてたてまつるに、相人さうにん驚きてあまたたび傾かたぶきあやしぶ。

「国の祖おやとなりて、帝王ていわうの上かみなき位くらゐに上のぼるべき相さうおはします人の、そなたにて見みれば、乱みだれ憂うれふることやあらむ。おほやけのかためとなりて、天下をたすくる方かたにて見みれば、またその相さう違たがふべし」

　と言いふ。弁べんもいと才ざえかしこき博士はかせにて、言いひかはしたることどもなむいと興きようありける。文ふみなど作りかはして、今日けふ明日あす帰かへり去さりなんとするに、かくありがたき人に対面たいめむしたるよろこび、かへりては悲しかるべき心ばへをおもしろく作りたるに、御子みこもいとあはれなる句を作りたまへるを、限かぎりなうめでたてまつりて、いみじき贈り物ものどもをささげたてまつる。

　おほやけよりも多おほくの物ものたまはす。おのづからことひろごりて、漏らさせたまはねど、春宮とうぐうの祖父おほじ大臣おとどなど、いかなることにかと思おもおぼし疑ひてなむありける。

　帝みかど、かしこき御心こころに、大和やまと相さうを仰おほせて思おもおぼし寄よりにける筋すぢなれば、今までこの君を親王みこにもなさせたまはざりけるを、相人さうにんはまことにかしこかりけりと思おもおぼして、

「無品むほんの親王しんわうの外戚げさくの寄よせなきにてはただよはさじ。わが御世もいと定さだめなきを、ただ人にておほやけの御後見うしろみをするなむ行ゆく先さきも頼たのもしげなめること」

　と思おもおぼし定さだめて、いよいよ道々みちみちの才ざえを習ならはさせたまふ。際きはことにかしこくて、ただ人にはいとあたらしけれど、親王みことなりたまひなば世の疑うたがひ負おひたまひぬべくものしたまへば、宿曜すくえうのかしこき道の人に勘かむがへさせたまふにも同じさまに申せば、源げむ氏じになしたてまつるべく思おもおぼしおきてたり。

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第1帖「桐壺」（12）そのころ、高麗人の参れるなかに

年月に添そへて、御息所みやすんどころの御ことを

　年月としつきに添そへて、御息所みやすんどころみやすんどころの御ことを思おもおぼし忘るる折ををりなし。慰なぐさむやと、さるべき人々を参まゐらせたまへど、なずらひに思おもおぼさるるだにいとかたき世かなと、うとましうのみよろづに思おもおぼしなりぬるに、先帝せんだいの四しの宮の御かたちすぐれたまへる聞きこえ高くおはします。

　母はは后きさき世になくかしづき聞きこえたまふを、上うへにさぶらふ典侍ないしのすけは、先帝せんだいの御時の人にて、かの宮にも親しう参まゐりなれたりければ、いはけなくおはしましし時より見みたてまつり、今もほの見みたてまつりて、

「うせたまひにし御息所みやすんどころみやすんどころの御かたちに似たまへる人を、三代の宮仕つかへに伝はりぬるにえ見みたてまつりつけぬを、后きさいの宮の姫宮こそ、いとようおぼえて生ひ出いでさせたまへりけれ。ありがたき御かたち人になん」

　と奏そうしけるに、まことにやと御心とまりて、ねんごろに聞きこえさせたまひけり。

　母はは后きさき、「あなおそろしや。春宮とうぐうの女御にようごのいとさがなくて、桐壺の更かう衣いのあらはにはかなくもてなされにし例ためしもゆゆしう」と、思おもおぼしつつみて、すがすがしうも思おもおぼし立たたざりけるほどに、后きさきもうせたまひぬ。心細きさまにておはしますに、

「ただ、わが女をんな御子みこたちの同じつらに思おもおもひ聞きこえん」

　と、いとねんごろに聞きこえさせたまふ。さぶらふ人々、御後見うしろみたち、御兄せ人うとの兵部卿ひやうぶきやうの御子みこなど、「かく心細くておはしまさむよりは、内うち住ずみせさせたまひて御心も慰むべく」など思おもおぼしなりて、参まゐらせたてまつりたまへり。

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第1帖「桐壺」（13）年月に添へて、御息所みやすんどころの御ことを

藤壺と聞きこゆ

　藤壺ふぢつぼと聞きこゆ。げに御かたち、ありさま、あやしきまでぞおぼえたまへる。これは人の御際きはまさりて、思おもおもひなしめでたく、人もえおとしめきこえたまはねば、うけばりて飽かぬことなし。かれは人のゆるしきこえざりしに、御志こころざしあやにくなりしぞかし。思おもおぼし紛まぎるとはなけれど、おのづから御心移うつろひて、こよなう思おもおぼし慰むやうなるも、あはれなるわざなりけり。

　源げむ氏じの君は御あたり去さりたまはぬを、ましてしげく渡わたらせたまふ御方かたは、え恥はぢあへたまはず。いづれの御方かたも、我人に劣おとらんと思おもおぼいたるやはある、とりどりにいとめでたけれど、うちおとなびたまへるに、いと若わかううつくしげにて、せちに隠れたまへど、おのづから漏もり見みたてまつる。

　母御息所みやすんどころみやすんどころもかげだにおぼえたまはぬを、

「いとよう似たまへり」

　と、典侍ないしのすけの聞きこえけるを、若き御心ここ地ちに「いとあはれ」と思おもおもひきこえたまひて、常に参まゐらまほしく、 「なづさひ見みたてまつらばや」とおぼえたまふ。

　上うへも限かぎりなき御思おもおもひどちにて、

「な疎うとみたまひそ。あやしくよそへきこえつべき心地ここちなんする。なめしと思おもおぼさでらうたくしたまへ。つらつき、まみなどはいとよう似にたりしゆゑ、通かよひて見みえたまふも、似にげなからずなむ」

　など聞きこえつけたまひつれば、幼心地をさなごこちにも、はかなき花はな紅葉もみぢにつけても志こころざしを見みえたてまつる。

　こよなう心寄よせきこえたまへれば、弘徽殿女御こきでんのにようご、またこの宮とも御仲なかそばそばしきゆゑ、うち添そへてもとよりの憎にくさも立たち出いでてものしと思おもおぼしたり。

　世にたぐひなしと見みたてまつりたまひ、名高たかうおはする宮の御かたちにも、なほ匂にほはしさはたとへん方かたなくうつくしげなるを、世の人、「光君ひかるきみ」と聞きこゆ。藤壺ふぢつぼならびたまひて、御おぼえもとりどりなれば、「かかやく日ひの宮」と聞きこゆ。

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第1帖「桐壺」（14）藤壺と聞こゆ

この君の御童わらは姿

　この君の御童姿わらはすがた、いと変かへま憂うく思おもおぼせど、十二にて御元服げんぶくしたまふ。居起ゐたち思おもおぼしいとなみて、限かぎりあることにことを添そへさせたまふ。ひととせの春宮とうぐうの御元服げんぶく、南な殿でんにてありし儀ぎ式しき、よそほしかりし御響ひびきに落おとさせたまはず。

　所々ところどころの饗きやうなど、内蔵寮くらづかさ、穀倉院こくさうゐんなど、おほやけごとに仕つかうまつれる、おろそかなることもぞと、とりわき仰おほせ言ことありて、きよらを尽つくして仕つかうまつれり。

　おはします殿でんの東ひむがしの廂ひさし、東向ひんがしむきに椅子立いしたてて、冠者くわんざの御座ざ、引入ひきいれの大臣おとどの御座ざ、御前まへにあり。申さるの時にて、源氏参まゐりたまふ。みづら結ゆひたまへるつらつき、顔かほのにほひ、さま変かへたまはむこと惜をしげなり。

　大蔵卿おほくらきやう、蔵人仕くらうどつかうまつる。いときよらなる御み髪ぐしをそぐほど、心苦しげなるを上うへは、御息所みやすんどころみやすんどころの見みましかばと思おもおぼし出いづるに、堪たへがたきを、心強つよく念ねんじかへさせたまふ。

　かうぶりしたまひて、御休所やすみどころにまかでたまひて、御衣ぞたてまつり替かへて、おりて拝はいしたてまつりたまふさまに、皆人みなひと涙落おとしたまふ。帝みかどはた、ましてえ忍しのびあへたまはず、思おもおぼし紛まぎるる折ををりもありつる昔のこと、とりかへし悲しく思おもおぼさる。いとかうきびはなるほどは、あげ劣おとりやと疑うたがはしく思おもおぼされつるを、あさましううつくしげさ添そひたまへり。

　引入ひきいれの大臣おとどの皇女みこ腹ばらに、ただ一人ひとりかしづきたまふ御むすめ、春宮とうぐうよりも御けしきあるを、思おもおぼしわづらふことありける、この君にたてまつらんの御心なりけり。内うちにも、御けしき賜たまはらせたまへりければ、

「さらば、この折をりの後見うしろみなかめるを、添臥そひぶしにも」

　ともよほさせたまひければ、さ思おもおぼしたり。

　さぶらひにまかでたまひて、人々大おほ御酒みきなど参まゐるほど、親王みこたちの御座ざの末すゑに源氏着きたまへり。大臣おとどけしきばみ聞きこえたまふことあれど、もののつつましきほどにて、ともかくもあへしらひ聞きこえたまはず。

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第1帖「桐壺」（15）この君の御童姿

御お前まへより、内侍ないしのすけ、宣旨うけたまはり

　御前まへより、内ない侍し、宣せん旨じうけたまはり伝へて、大臣おとど参まゐりたまふべき召めしあれば、参まゐりたまふ。御禄ろくの物もの、上うへの命婦みやうぶ取とりてたまふ。白しろき大袿おほうちきに御衣ぞ一領ひとくだり、例れいのことなり。

　御盃さかづきのついでに、

　　いときなき初はつ元もと結ゆひに長き世を契ちぎる心は結びこめつや

　御心ばへありて、おどろかさせたまふ。

　　結びつる心も深き元もと結ゆひに濃こき紫むらさきの色いろしあせずは

　と奏そうして、長橋ながはしよりおりて舞ぶ踏たふしたまふ。

　左馬寮ひだりのつかさの御馬、蔵人所くらうどどころの鷹たかすゑて賜たまはりたまふ。御み階はしのもとに親王みこたち上達部かむだちめつらねて、禄ろくども品々に賜たまはりたまふ。その日の御お前まへの折櫃物をりひつもの、籠こ物ものなど、右う大弁だいべんなんうけたまはりて仕つかうまつらせける。屯食とんじき、禄ろくの唐櫃からひつどもなど、ところせきまで、春宮とうぐうの御元服げんぶくの折をりにも数まされり。なかなか限かぎりもなくいかめしうなむ。

　その夜、大臣おとどの御里さとに源氏の君まかでさせたまふ。作さ法ほふ世よにめづらしきまで、もてかしづききこえたまへり。いときびはにておはしたるを、ゆゆしううつくしと思おもおもひきこえたまへり。女君ぎみはすこし過すぐしたまへるほどに、いと若わかうおはすれば似にげなう恥はづかしと思おもおぼいたり。

この大臣おとどの御おぼえいとやむごとなきに、母宮、内裏うちのひとつ后腹きさいばらになんおはしければ、いづ方かたにつけてもいとはなやかなるに、この君さへかくおはし添そひぬれば、春宮とうぐうの御祖父おほぢにて、つひに世中よのなかを知しりたまふべき右大臣みぎのおとどの御いきほひは、ものにもあらず圧おされたまへり。

　御おん子こどもあまた腹々はらばらにものしたまふ。宮の御腹はらは蔵人少将くらうどのせうしやうにていと若わかうをかしきを、右大臣みぎのおとどの、御仲なかはいとよからねど、え見過みすぐしたまはで、かしづきたまふ四君しのきみにあはせたまへり。劣らずもてかしづきたるは、あらまほしき御間あはひどもになむ。

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第1帖「桐壺」（16）御前より、内侍、宣旨うけたまはり

源氏の君は、上の常に

　源氏の君は、上うへの常に召めしまつはせば、心やすく里さと住ずみもえしたまはず。心のうちには、ただ藤壺ふぢつぼの御ありさまをたぐひなしと思おもおもひきこえて、さやうならん人をこそ見みめ、似にる人なくもおはしけるかな。大殿おほいとのの君、いとをかしげにかしづかれたる人とは見みゆれど、心にもつかずおぼえたまひて、幼をさなきほどの心ひとつにかかりて、いと苦しきまでぞおはしける。

　大人おとなになりたまひて後は、ありしやうに御簾みすの内うちにも入いれたまはず。御遊あそびの折々をりをり、琴こと、笛の音ねに聞きこえ通かよひ、ほのかなる御声こゑを慰なぐさめにて、内裏うち住ずみのみこのましうおぼえたまふ。五六日さぶらひたまひて、大おほい殿とのに二三日など、絶たえ絶だえにまかでたまへど、ただ今は幼をさなき御ほどに、罪つみなく思おもおぼしなして、いとなみかしづききこえたまふ。

　御方々おんかたがたの人々、世中よのなかにおしなべたらぬを選えりととのへすぐりてさぶらはせたまふ。御心につくべき御遊あそびをし、おほなおほな思おもおぼしいたつく。

　内裏うちにはもとの淑し景げい舎さを御おん曹ざう司しにて、母はは御息所みやすんどころみやすんどころの御方かたの人々、まかで散ちらずさぶらはせたまふ。里さとの殿とのは修理すり職しき、内匠寮たくみづかさに宣旨せんじ下くだりて、二になう改あらため造つくらせたまふ。もとの木こ立だち、山のたたずまひ、おもしろき所なりけるを、池いけの心広くしなして、めでたく造つくりののしる。かかる所に、思おもおもふやうならん人を据すゑて住すまばやとのみ、嘆なげかしう思おもおぼしわたる。

　光君ひかるきみといふ名は、高麗こま人うどのめできこえてつけたてまつりけるとぞ、言いひ伝つたへたるとなむ。

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第1帖「桐壺」（17）源氏の君は、上の常に

鴨

2024年9月から『源氏物語』の全訳に挑戦しています。10年がかりのライフワークです。