【原文】第11帖「花散里」(全文)
人知れぬ御心づからのもの思はしさは、いつとなきことなめれど、かくおほかたの世につけてさへ、わづらはしう思し乱るることのみまされば、もの心細く、世の中なべていとはしう思しならるるに、さすがなること多かり。
麗景殿と聞こえしは、宮たちもおはせず、院隠れさせたまひてのち、いよいよあはれなる御ありさまを、ただこの大将殿の御心にもて隠されて、過ぐしたまふなるべし。御おとうとの三の君、内裏わたりにてはかなうほのめきたまひし名残の、例の御心なれば、さすがに忘れも果てたまはず、わざとももてなしたまはぬに、人の御心をのみ尽くし果てたまふべかめるをも、このごろ残ることなく思し乱るる世のあはれのくさはひには、思ひ出でたまふには忍びがたくて、五月雨の空めづらしく晴れたる雲間に渡りたまふ。
何ばかりの御よそひなく、うちやつして、御前などもなく、忍びて中川のほどおはし過ぐるに、ささやかなる家の木暗立などよしばめるに、よく鳴る琴をあづまに調べて掻き合はせ、にぎははしく弾きなすなり。御耳とまりて、門近なる所なれば、すこしさし出でて見入れたまへば、大きなる桂の木暗の追ひ風に、祭のころ思し出でられて、そこはかとなくけはひをかしきを、ただ一目見たまひし宿りなりと見たまふ。ただならず、ほど経にける、おぼめかしくやと、つつましけれど、過ぎがてにやすらひたまふ折しも、郭公鳴きてわたる。もよほしきこえ顔なれば、御車おし返させて、例の、惟光入れたまふ。
「をちかへりえぞ忍ばれぬ郭公ほの語らひし宿の垣根に」
寝殿とおぼしき屋の、西のつまに人々ゐたり。さきざきも聞きし声なれば、声づくりけしきとりて、御消息聞こゆ。若やかなるけしきどもして、おぼめくなるべし。
「郭公こととふ声はそれなれどあなおぼつかな五月雨の空」
ことさらたどると見れば、
「よしよし、植ゑし垣根も」
とて出づるを、人知れぬ心には、ねたうもあはれにも思ひけり。さも、つつむべきことぞかし、ことわりにもあれば、さすがなり。かやうの際に、筑紫の五節が、らうたげなりしはやと、まづ思し出づ。いかなるにつけても、御心の暇なく苦しげなり。年月を経ても、なほかやうに見しあたり、情け過ぐしたまはぬにしも、なかなかあまたの人のもの思ひぐさなり。
かの本意の所は、思しやりつるもしるく、人目なく、静かにておはするありさまを見たまふも、いとあはれなり。まづ女御の御方にて、昔の御物語など聞こえたまふに、夜更けにけり。二十日の月さし出づるほどに、いとど木高きかげども木暗く見えわたりて、近き橘の薫りなつかしくにほひて、女御の御けはひ、ねびにたれど、あくまで用意あり、あてにらうたげなり。すぐれてはなやかなる御おぼえこそなかりしかど、むつましうなつかしき方には思したりしものを、など思ひ出できこえたまふにつけても、昔のことかきつらね思されて、うち泣きたまふ。
郭公、ありつる垣根のにや、同じ声にうち鳴く。慕ひ来にけるよと思さるるほども、艶なりかし。いかに知りてか、など忍びやかにうち誦じたまふ。
「橘の香をなつかしみ郭公花散里をたづねてぞとふ。いにしへの忘れがたき慰めには、なほ参りはべりぬべかりけり。こよなうこそ、紛るることも、数添ふこともはべりけれ。おほかたの世に従ふものなれば、昔語もかきくづすべき人少なうなりゆくを、まして、つれづれも紛れなく思さるらむ」
と聞こえたまふに、いとさらなる世なれど、ものをいとあはれに思し続けたる御けしきの浅からぬも、人の御さまからにや、多くあはれぞ添ひにける。
「人目なく荒れたる宿は橘の花こそ軒のつまとなりけれ」
とばかりのたまへる、さはいへど、人にはいとことなりけりと、思し比べらる。
西面には、わざとなく忍びやかにうち振る舞ひたまひてのぞきたまへるも、めづらしきに添へて、世に目なれぬ御さまなれば、つらさも忘れぬべし。何やかやと、例の、なつかしく語らひたまふも、思さぬことにあらざるべし。かりにも見たまふかぎりは、おしなべての際にはあらず、さまざまにつけて、いふかひなしと思さるるはなければにや、憎げなく、我も人も情を交はしつつ過ぐしたまふなりけり。それをあいなしと思ふ人は、とにかくに変はるも、ことわりの世のさがと思ひなしたまふ。ありつる垣根も、さやうにて、ありさま変はりにたるあたりなりけり。
