第2帖「帚木」

第2帖「帚木」(8)また、絵所に上手多かれど

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国貞『源氏香の図』
出典:国立国会図書館「NDLイメージバンク」
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第2帖「帚木」(7)あしくもよくもあひ添ひて
第2帖「帚木」(7)あしくもよくもあひ添ひて

原文・語釈

また、絵所に上手多かれど

 また、絵所ゑどころに上手おほかれど、すみきにえらばれてつぎつぎに、さらにおとりまさるけぢめふとしもかれず。かかれど、人のおよばぬ蓬莱ほうらいの山、荒海あらうみいかれるいを姿すがた唐国からくにのはげしきけだもののかたち、えぬおにかほなどのおどろおどろしくつくりたるものは、心にまかせて一際ひときはおどろかして、じちにはざらめどさてありぬべし。

語釈
  • ゑどころ【絵所】:平安時代、朝廷で絵画のことをつかさどった役所。
  • すみがき【墨書き】:集団で絵画を制作する際に、隅で下書きをする人。中心格の画家の仕事であった。
  • つぎつぎ【次次・継継】:順をおって。
  • けぢめ:区別。違い。
  • みおよぶ【見及ぶ】:見ることができる。目が届く。
  • ほうらいのやま【蓬莱の山】:蓬莱山。中国の伝統で、東方の海上にあり、仙人が住むとされた霊山。不死の薬があるという。
  • おどろおどろし:恐ろしく、気味が悪い。
  • じち【実】:実際のものごと。真実。実物。

世の常の山のたたずまひ

 世のつねの山のたたずまひ、水のながれ、ちかき人のいへありさま、げにとえ、なつかしくやはらいだるかたなどをしづかにかきまぜて、すくよかならぬ山のけしき、ぶかはなれてたたみなし、けちかきまがきのうちをば、その心しらひおきてなどをなん、上手じやうずはいといきほひことに、わろものはおよばぬ所おほかめる。

語釈
  • よのつね【世の常】:世間並み。ありきたり。ふつう。日常。
  • めにちかし【目に近し】:すぐ目の前にある。見なれている。
  • なつかし【懐かし】:心がひかれる。親しみが感じられる。
  • やはらぐ【和らぐ・柔らぐ】:とげとげしくなくなる。柔和になる。気持ちが素直になる。
  • かた【形・象】:物のかたち。形状。物のかたちを模した絵。
  • すくよか【健よか】:けわしいさま。
  • こふかし【木深し】:木立が生い茂っている。木が茂って奥深いさま。
  • たたみなす【畳みなす】:幾重にも重ねあげる。
  • けちかし【気近し】:身近である。
  • まがき【籬】:柴や竹などで目を粗く編んで作った垣根。
  • こころしらふ【心しらふ】:心配りをする。気をつかう。
  • おきて【掟】:規範。法則。配置。
  • わろもの【悪者】:未熟な人。

手を書きたるにも深きこと

 きたるにもふかきことはなくて、ここかしこの点長てんながはしき、そこはかとなくけしきばめるは、うちるにかどかどしくけしきだちたれど、なほまことのすぢをこまやかにたるは、うはべのふでえてゆれど、いまひとたびならべてればなほじちになんりける。

語釈
  • て【手】:文字。
  • てんなが【点長】:文字を書く際に、点や画をやたらに長く引いて書くさま。気取った書き方になる。
  • そこはかとなし:よくわからない。どこということもない。はっきりしない。とりとめもない。
  • けしきばむ【気色ばむ】:気どる。体裁をつくる。意味ありげな態度をとる。
  • かどかどし【才才し】:才気がある。気が利いている。賢い。
  • すぢ【筋】:作風。芸風。手法。

はかなきことだにかくこそはべれ

 はかなきことだにかくこそはべれ。まして人の心の時にあたりてけしきばめらむ、のなさけをばえたのむまじくおもふたまへてはべる。そのはじめのこと、すきずきしくとも申しはべらむ」

 とてちかくゐれば、君も目覚めさましたまふ。中将いみじくしんじて、つらつゑをつきてかひゐたまへり。のりの師の、世のことわりき聞かせむ所の心地するもかつはをかしけれど、かかるついではおのおのむつごともえしのびとどめずなんありける。

語釈
  • みるめ【見る目】:見かけ。
  • すきずきし【好き好きし】:物好きである。
  • つらつゑ【頬杖】:ほおづえ。
  • むつごと【睦言】:むつまじい語らい。打ち明け話。

はやう、まだいと下らふにはべりし時

「はやう、まだいとらふにはべりし時、あはれとおもふ人はべりき。こえさせつるやうに、かたちなどいとまほにもはべらざりしかば、わかきほどのすきごころには、この人をとまりにともおもひとどめはべらず、るべとはおもひながら、さうざうしくてとかくまぎれはべりしを、ものゑんじをいたくしはべりしかば、心づきなく、いとかからでおいらかならましかばとおもひつつ、あまりいとゆるしなくうたがひはべりしもうるさくて、かくかずならぬ身をはなたでなどかくしもおもふらむ、と心ぐるしき折々をりをりもはべりて、ねんに心をさめらるるやうになんはべりし。

語釈
  • はやう【早う】:ずっとまえ。以前。
  • げらふ【下臈】:官位などの低い者。下級の者。
  • まほ【真秀・真面】:よく整っていること。完全。
  • すきごころ【好き心】:恋愛に夢中になる心。色好みの心。
  • とまり【止まり・留まり】:最後まで連れ添う人。本妻。
  • おもひとどむ【思い留む】:心にとめる。思いを心に残す。執着する。
  • よるべ【寄るべ】:頼みとする人。一応の妻。
  • さうざうし:物足りない。
  • まぎれ【紛れ】:こっそり別の女に通うこと。
  • ものゑんじ【物怨じ】:恨むこと。嫉妬。
  • こころづきなし【心付き無し】:気に入らない。いやだ。不愉快である。
  • おいらか:寛容である・おっとりしている。
  • うるさし【煩し】:面倒だ。うっとうしい。
  • かずならぬ【数ならぬ】:取るに足りない。
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第2帖「帚木」(9)この女のあるやう
第2帖「帚木」(9)この女のあるやう

現代語訳

帚木(ハハキギ・コキア)

 また、宮中の絵所には上手な絵師が多くいますけど、墨書きに抜擢されて次々に下絵を描けば、まったく優劣の差が見分けられません。ところが、実際に見ることのできない蓬莱の山、荒れた海で暴れる魚の姿、唐国の激しい猛獣の形、目に見えない鬼の顔など、いかにも恐ろしく描かれたものは、想像にまかせて大げさに目を驚かせます。実物とは似ていないのかもしれませんけど、それで十分でしょう。

 日常でよく目にする山のたたずまい、水の流れ、身近にあふれる人の住まい、生活を描けば実にリアルで、懐かしくも柔らかくも感じられる技法などをさりげなく使ったり、特徴に乏しい山の景色を描けば樹木を深く、浮世離れしたかのように何重にも重ね、その手前にある竹の垣根の内側をも、そのタッチや配置など細部にまで心を配ったりと、腕の立つ絵師は極めて筆の勢いがレベチで、そこらの絵師じゃ及ばない所が多くみられます。

 字を書くにしても深いテクニックはなく、いちいち点を長く引いて走り書きして、何となくそれっぽい感じに見せれば、パット見は技巧を凝らしているように引き立ちます。でも真の書法で丁寧に書くことができる匠は、表面上は筆の技術が消えて見えても、いま一度並べて比べればやっぱり実力の差が出るわけですよ。

 日常のちょっとしたことでさえ、こんなもんではありませんか。まして女の心の、その時その時に計算して、思わせぶりな素振りを見せる、見かけだけの情愛なんて信頼しちゃダメだって思うのでございます。そのきっかけとなった出来事を、色恋沙汰ではありますがお話しいたしましょう」

 と言って近くに寄ると、源氏の君もお目覚めになりました。中将はすっかり心酔して、頬杖をつきながら正面で聞き入っています。法の師が世の道理を説教する場所のような心地がするのも、ある意味では面白おかしいことですけれど、このような折には各人とも、色恋話を心の内に秘めておくことができないのでした。

「昔、自分がまだ下っ端だったころ、かわいいと思う人がいましてね。さっき言ったように自分はそんなできた人間ではなかったんで、若さゆえの遊びたい気持ちっていうか、その人を本妻にしようとか思いきることもできず、まあ頼りになる女だとは思ってたんですけど、なんか物足りなくていろんな女とこそこそ遊んでたんです。

 そしたら嫉妬が半端なくて、自分はそれがめちゃくちゃ嫌で、ほんとこんなんじゃなくて寛大な女だったらよかったのに、って思いましたよ。でもあんまりにも容赦なく疑ってくるのもめんどくさいし、自分みたいな何でもない男を見捨てないどころか、どうしてこんなに思ってくれるんだろうと、さすがに心が痛むことも結構あって、自然と浮気心も落ち着いてくるようになったんです。

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第2帖「帚木」(9)この女のあるやう
第2帖「帚木」(9)この女のあるやう
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保坂陽平(ヤンピン)
保坂陽平(ヤンピン)
福岡県宗像市在住。2024年9月から『源氏物語』の全訳に挑戦しています。10年がかりのライフワークです。
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