第2帖「帚木」(6)いまはただ、品にもよらじ

出典:国立国会図書館「NDLイメージバンク」

原文・語釈
いまはただ、品にもよらじ
「いまはただ、品にもよらじ、かたちをばさらにも言はじ。いとくちをしくねぢけがましきおぼえだになくは、ただひとへに、ものまめやかに静かなる心のおもむきならむ寄るべをぞ、つひの頼み所には思ひおくべかりける。あまりゆゑよし、心ばせうち添へたらむをばよろこびに思ひ、すこしおくれたる方あらむをもあながちに求め加へじ。うしろやすくのどけき所だに強くは、うはべのなさけはおのづからもてつけつべきわざをや。
艶にもの恥して
艶にもの恥して、うらみ言ふべきことをも見知らぬさまに忍びて、上はつれなくみさをづくり、心ひとつに思ひあまる時は、言はん方なくすごき言の葉、あはれなる歌を詠みおき、しのばるべき形見をとどめて、深き山里、世離れたる海づらなどにはひ隠れぬるをりかし。
童にはべりしとき
童にはべりしとき、女房などの物語読みしを聞きて、いとあはれにかなしく心深きことかな、と涙をさへなん落としはべりし。いま思ふには、いと軽々しくことさらびたることなり。心ざし深からん男をおきて、見る目の前につらきことありとも、人の心を見知らぬやうに逃げ隠れて、人をまどはし心を見んとするほどに、長き世のもの思ひになる、いとあぢきなきことなり。
心深しやなどほめたてられて
『心深しや』、などほめたてられて、あはれすすみぬれば、やがて尼になりぬかし。思ひ立つほどはいと心澄めるやうにて、世にかへりみすべくも思へらず。『いで、あな悲し。かくはた、思しなりにけるよ』などやうに、あひ知れる人来とぶらひ、ひたすらに憂しとも思ひ離れぬ男聞きつけて涙落とせば、使ふ人、古御達など、『君の御心はあはれなりけるものを。あたら御身を』など言ふ。
みづから額髪をかきさぐりて
みづから額髪をかきさぐりて、あへなく心細ければ、うちひそみぬかし。忍ぶれど涙こぼれそめぬれば、折々ごとにえ念じ得ず、くやしきこと多かめるに、仏もなかなか心ぎたなしと見たまひつべし。濁りに染めるほどよりも、なま浮かびにてはかへりて悪しき道にもただよひぬべくおぼゆる。絶えぬ宿世浅からで、尼にもなさで尋ね取りたらんも、やがてその思ひ出でうらめしきふしあらざらんや。

現代語訳

「今はただ、品にもよらず、見た目などはこれ以上言いますまい。どうしようもなく残念でひねくれた性格でなければOK。ただ一途に、誠実で落ち着いた心を感じさせる人をこそ、最後の頼りとして決めるべきでした。教養があればなお良し、さらに気配り上手なら出会えただけでラッキーだと思い、多少抜けている点があろうとも無理やり直させるようなことはしません。安心して前を向くことができてメンヘラでさえなければ、うわべだけの愛も自然と本物になっていくもんじゃないですかね。
わざとらしく恥ずかしがって、夫に文句を言ったっていいような時も見知らぬようすで我慢して、表面上はそ知らぬ顔で平気なふり。それがいきなり我慢の尾が切れると、口に出せないようなヤバい言葉で死にたいみたいな歌を詠んで、呪いのような形見を残して深い山里や浮世離れした海辺に隠れてしまう女もいますからね。
子供の頃、女房たちがそんな物語を読み聞かせてくれましたよ。その時はとても哀れで悲しくて、いろいろ悩んだ末の決断だったのかなと、涙まで流していました。でも今思うと、そんなのは軽々しい気持ちで、わざとやってることなんですよ。愛情深い夫を残して、たとえ目の前につらいことがあろうとも、人の気持ちをわかろうともせずに逃げ隠れて、相手を動揺させて気持ちを試そうとする。そうしているうちに最後は夫に見放されて、一生後悔するとか、アホみたいにつまらないことです。
『深い心意気で』、などと周りからもてはやされて、あわれにも気持ちだけが先走ってしまえば、そのまま尼になってしまうのですよ。思い立った時はすっかり心が透明になったような気がして、世に未練が残るだろうなんて思いもしません。
『まあ、なんて悲しいのでしょう。こうもまた、よく思い切られたことですね』、などと言いながら知り合いが見舞いに来たり、超面倒くさいと思いながらも未練を断ち切れない男が、それを聞きつけて涙を落としたりするとどうでしょう。使用人や古参の女房たちが、『ご主人の心は愛情深かったものを、惜しいことにあなたの身は⋯⋯』などと言うのです。
女は前髪をかき上げようとして、尼削ぎにもう後戻りできないことを実感すれば、きっと今にも泣き出しそうになるでしょうよ。我慢しても涙がこぼれはじめてしまったら、もう何を思い出しても涙が止まりません。後悔することが多いように見えれば、仏もまだまだ心がけがれているようだとご覧になるに違いありません。俗世で濁りに染められている時よりも、中途半端に仏道に入る時の方が、かえって悪道をさまようことになるだろうと思われます。絶えない前世からの宿縁が浅くなく、尼になる前に探し出して引き戻したとしても、そのうち家出騒ぎが思い出されて、残念なことが起こるでしょうや。
