第2帖「帚木」(5)必ずしもわが思ふにかなはねど

出典:国立国会図書館「NDLイメージバンク」

原文・語釈
必ずしもわが思ふにかなはねど
必ずしもわが思ふにかなはねど、見そめつる契りばかりを捨てがたく、思ひとまる人はものまめやかなりと見え、さて保たるる女のためも心にくくおしはからるるなり。されど、何か。世のありさまを見たまへ集むるままに、心におよばずいとゆかしきこともなしや。君達の上なき御選びには、ましていかばかりの人かはたぐひたまはん。
かたちきたなげなく若やかなる
かたちきたなげなく若やかなるほどの、おのがじしは塵もつかじと身をもてなし、文を書けどおほどかに言選りをし、墨つきほのかに心もとなく思はせつつ、またさやかにも見てしかなとすべなく待たせ、わづかなる声聞くばかり言ひ寄れど、息の下に引き入れ言少ななるが、いとよくもて隠すなりけり。なよびかに女しと見れば、あまり情に引きこめられて、取りなせばあだめく。これをはじめの難とすべし。
ことがなかに、なのめなるまじき
ことがなかに、なのめなるまじき人の後見の方は、もののあはれ知り過ぐし、はかなきついでの情あり、をかしきにすすめる方なくてもよかるべしと見えたるに、また、まめまめしき筋を立てて、耳はさみがちにびさうなき家刀自の、ひとへにうちとけたる後見ばかりをして、
朝夕の出で入りにつけても
朝夕の出で入りにつけても、公私の人のたたずまひ、よきあしきことの目にも耳にもとまるありさまを、疎き人にわざとうちまねばんやは、近くて見ん人の聞き分き思ひ知るべからむに、語りも合はせばやとうちも笑まれ、涙もさしぐみ、もしはあやなきおほやけ腹立たしく、心ひとつに思ひあまることなど多かるを、何にかは聞かせむと思へば、うち背かれて、人知れぬ思ひ出で笑ひもせられ、『あはれ』ともうちひとりごたるるに、『何ごとぞ』などあはつかにさし仰ぎゐたらむは、いかがはくちをしからぬ。
ただひたふるに
ただひたふるに、子めきてやはらかならむ人をとかく引きつくろひては、などか見ざらん。心もとなくともなほしどころある心地すべし。げにさし向ひて見むほどは、さてもらうたき方に罪ゆるし見るべきを、立ち離れて、さるべきことをも言ひやり、をりふしにし出でむわざの、あだことにもまめごとにもわが心と思ひ得ることなく、深きいたりなからむは、いとくちをしく頼もしげなき咎やなほ苦しからむ。常はすこしそばそばしく心づきなき人の、をりふしにつけて出でばえするやうもありかし」
など、隈なきもの言ひも、定めかねていたくうち嘆く。

現代語訳

(前回に引き続き左馬頭のセリフ)
見るからに純粋そうな若々しい年頃で、それぞれが少しの汚点もつけまいと身をこなし、手紙を書けば思わせぶりな言葉を選ぶ。あいさつはチラ見で、男のじれったい気持ちをくすぐっては、今度こそちゃんと会ってみたいと当てもなく期待させる。やっと少し声を聞けるぐらいの仲になっても、かすかな息づかいで言葉少なにささやくような女が、これまたうまく難を隠してたんですよ。色っぽくて女らしいなと見れば、そういう女は狂ったように情に溺れます。かといってそれに応えていたら、すーぐ浮つく。これを付き合い始め一番の災難とすべし!
家事の中でも、絶対に手を抜けない夫の世話となると、物のあわれを意識し過ぎたり、ちょっとしたことでも趣向を凝らして、いちいち面白くしようと頑張らなくてもいいのにって思うわけですよ。かといって、生活術のテクニックに走って、忙しそうに髪を耳にかけては化粧もしないガチ主婦が、ひたすら世帯じみた世話ばかりをしているのもアレですけどね。
朝夕に宮中へ出入りすれば、公私にわたる人々のようすや、楽しいことも嫌なことも、目にしたり耳に聞いたりしますよね。そういう出来事を、親しくもない人にわざわざ話そうなんて思わんでしょう。身近にいる妻なら話をわかってくれるだろうなと、早く帰って語り合いたいと思うだけで吹き出しそうになったり、涙ぐんだりもするもんです。
もしくは理不尽な公務に腹が立って、自分一人では消化できないことが多いのに、言ってもどうせわかってくれないと思って、つい背を向けてしまうこともあります。誰にも見られずに思い出し笑いをしたり、『しんどっ』と独りごとを言ったり。そんな時に限って『何があったの!』とか、人の気も知らないで顔を見上げてくるようなのはマジで残念な女です。
こうなったら強引に、邪心のない柔順な女をとにかく矯正しては、妻としましょうか。不十分であっても教育しがいがあるはずです。実際、顔を向かい合わせて同居しているような間は、欠点があってもかわいいから許すってなると思いますよ。でも別々に離れて住んでいて、やってほしいことを相手に全部伝えた時に、その一つひとつのやり方を、趣味的なことも実用的なことも自分で判断することなく、深く配慮できなかったら、その女の非常に残念で頼りない欠点がやっぱり嫌になりませんか。普段は少しツンとしていて冷たい女が、その時その時に見ばえするようなこともあるやないですか」
など、女について隈なく弁を述べた評論家()も、結論を定められず大きなため息をついています。左馬頭の演説はまだ続きます。
