第2帖「帚木」(4)もとの品、時世のおぼえ

国貞『源氏香の図』
典:国会図書館「NDLイメージバンク」

原文・語釈

もとの品、時世のおぼえうちあひ

「もとのしなときのおぼえうちあひやむごとなきあたりの、うちうちのもてなしけはひおくれたらむはさらにもはず。なにをしてかくでけむと、ふかひなくおぼゆべし。うちあひてすぐれたらむもことわり、これこそはさるべきこととおぼえて、めづらかなることと心もおどろくまじ。なにがしがおよぶべきほどならねば、かみかみはうちおきはべりぬ。

[jinr_heading_iconbox1 title= ]
  • うちあふ【打ち合ふ】:(もの事が)ぴったりと調ととの和する。うまくいく。
  • うちうち【内内】:家庭の内部。内側。
  • いふかひなし【ふ甲斐無し】:情けない状態である。ふがいない。
  • なにがし【某・何某】:わたくし。
  • かみがかみ【上が上】:最上級の人。
  • うちおく【打ち置く】:遠慮して及しない。
[/jinr_heading_iconbox1]

さて、世にありと人にられず

 さて、にありと人にられず、さびしくあばれたらむむぐらかどに、おもひのほかにらうたげならん人のぢられたらんこそ、かぎりなくめづらしくはおぼえめ。いかではたかかりけむと、おもふよりたがへることなんあやしく心とまるわざなる。

[jinr_heading_iconbox1 title= ]
  • あばる【荒る】:荒れ果てる。荒廃する。
  • むぐら【葎】:つる草の総称。荒廃した家屋の描写に用いられる代表的な雑草。
  • むぐらのかど【葎の門】:荒れ果てた家。貧しい家。
  • らうたし:かわいい。かれんである。
  • とづ【閉づ】:閉じ込める。
[/jinr_heading_iconbox1]

父の年老い、ものむつかしげに太り

ちちとしい、ものむつかしげにふとぎ、せうとのかほにくげに、おもひやりことなることなきねやのうちに、いといたくおもがり、はかなくしでたることわざもゆゑなからずえたらむ、かたかどにてもいかがおもひのほかにをかしからざらむ。すぐれてきずなきかたえらびにこそおよばざらめ、さるかたにててがたきものをば」

 とて、しきやれば、わがいもうとどものよろしきこえあるをおもひてのたまふにや、とや心得こころうらむ、ものもはず。

[jinr_heading_iconbox1 title= ]
  • ものむつかし【もの難し】:なんとなくうっとうしい。ゆううつだ。薄気味が悪い。
  • せうと【兄人】:兄または弟。
  • おもひやり【おもひ遣り】:推察すること。
  • ことなし【殊なし】:格別である。この上ない。
  • ねや【閨】:奥深い部屋。深窓。
  • おもひあがる【おもひ上がる】:気位を高く持つ。自負する。
  • しいづ【為づ】:作りす。事をおこなう。しでかす。
  • ゆゑなし【故なし】:教養・たしなみがない。風情がない。
  • かたかど【片才】:わずかな才芸。少しのとりえ。
  • さるかたに【然る方に】:それはそれとして。
  • いもうと【妹】:妹または姉。
[/jinr_heading_iconbox1]

いでや、上の品とおもふにだにかたげなる世を

「いでや、かみしなおもふにだにかたげなるを」と、君はおぼすべし。しろき御どものなよよかなるに、直衣なほしばかりをしどけなくなしたまひて、ひもなどもうちてて、したまへる御かげいとめでたく、女にてたてまつらまほし。この御ためにはかみかみでても、なほくまじくえたまふ。

[jinr_heading_iconbox1 title= ]
  • いでや:いやいや。さあ。
  • なよよか:(服などが)柔らかいさま。しなやかなさま。
  • なほし【直】:貴族の平服。
  • しどけなし:ゆったりしている。無造作である。
  • そひふす【ひ臥す】:横になる。ものりかかる。
  • ほかげ【火影】:灯火に照らされた人の姿やものの形。
[/jinr_heading_iconbox1]

さまざまの人の上どもを語りあはせつつ

 さまざまの人のうへどもをかたりあはせつつ、

「おほかたのにつけてるにはとがなきも、わがものとうちたのむべきをらんに、おほかる中にもえなんおもさだむまじかりける。をのこのおほやけにつかうまつり、はかばかしきのかためとなるべきも、まことのうつはものとなるべきをださむにはかたかるべしかし。されど、かしこしとても、ひとりふたり世中よのなかをまつりごちしるべきならねば、かみしもたすけられ、しもかみになびきて、ことひろきにゆづろふらん。

[jinr_heading_iconbox1 title= ]
  • うへ【上】:人・もの・事などに関すること。⋯についてのこと。身の上。
  • おほかたのよ【おほ方の世】:一般的なひと関係。
  • うちたのむ【打ち頼む】:すっかり信頼する。頼みにする。
  • おほやけ【おほやけ】:朝廷みかど。宮中。
  • はかばかし【果果し・捗捗し】:しっかりしている。頼もしい。
  • よのかため【世の固め】:国家の柱石。
  • うつはもの【器もの】:才能。能力。器量。または、そうしたものを持っている人。
  • かしこし【賢し・恐し・畏し】:恐れおほい。才能・能・思慮がすぐれている。賢明である。
  • まつりごちしる【政ごち領る】:政治をおこなう。世を治める。
  • ゆづらふ【譲らふ】:互いに譲り合う。
[/jinr_heading_iconbox1]

狭き家のうちのあるじとすべき人

せばき家のうちのあるじとすべき人ひとりをおもひめぐらすに、らはでしかるべきおほだいどもなむかたがたおほかる。とあればかかり、あふさきるさにて、なのめにさてもありぬべき人のすくなきを、すきずきしき心のすさびにて、人のありさまをあまたあはせむのこのみならねど、ひとへにおもさだむべきるべとすばかりに、おなじくは、わが力入ちからいりをし、なほしきつくろふべき所なく、心にかなふやうにもやとめつる人の、さだまりがたきなるべし。

[jinr_heading_iconbox1 title= ]
  • たらふ【足らふ】:申し分なくそなわっている。完全である。
  • あし【悪し】:悪い。いけない。
  • とあればかかり:一方がそうだと他方はこうだ。
  • あふさきるさ:あちらがてばこちらがたずで、具合の悪いさま。
  • なのめ【斜め】:ありふれたさま。ふつうだ。平凡だ。
  • すさび【荒び・遊び】:なりゆきのままにどんどん気持ちが進むこと。気まぐれ。
  • みあはす【合はす】:あれこれ比べる。
  • よるべ【るべ】:頼みとする人。をとこまたは妻。
  • なほす【直す】:ゆがみや間たがいを正す。改める。変える。その場をつくろう。
  • ひきつくろふ【き繕ふ】:欠点を直す。
[/jinr_heading_iconbox1]

現代語訳

帚木(ハハキギ・コキア)

「もとの品が世間の評判にぴったりのお高い家柄なのに、中身の態度や印象が劣っているような女はいちいちうまでもありませんね。何をどうしたらこんな育ち方をするのかと、葉にならないぐらい幻滅するに決まってます。家柄と人柄がそろって上品なのも当たり前で、これこそは普かよに育ちのいい女と思われて、珍しいことと心から驚くこともありますまい。あっ、それがしが及ぶような身分ではないんで、上流中の上に属するような女のことはってませんよ。

 さて、世にありと人にられず、さびしく荒れ果てた貧しい家に、思いのほかにかわいらしげな女が閉じ込められていたとしたら、それこそかぎりなく珍しいとは思いませんか。なんでまたこんなところにと、思いもよらないことが妙にあやしく心にとまるものです。

 父親は年老いて、気難しそうな感じで太りぎ、兄の顔つきも不細工やのに、そっからは想像もできんような非の打ち所がない家の奥深くに、お高く思い上がっている女がいて、何かちょっとしたことをしでかして教養があるようにえたりしたら、それがおほしたことない芸であってもどうして思いのほかに面白くないことがありましょうか。まったく欠点がない女を選ぶとなれば及びませんけど、それはそれとして捨てがたいもんですよ」

 とって式部の方をると、自分の妹たちがよろしく評判高いのを思っておっしゃるのだろうか、とでも心得たのか、ものもいません。

「いやいや、上の品と思う階級でさえ、そんなできた女はめったにいない世なのに」と、源氏の君はお思いのようです。白いの柔らかなうえに、直だけを無造作に着崩して、紐なども結ばず、くつろいでいる御姿は本当に尊くて、女の身になって拝してみたいものです。この御方のためなら、上流中の上を選びしても、なお十分ではないようにえます。

さまざまな人の身の上を語り合いながら、左馬頭は、

「普かよに彼女として付き合う分には問題なくても、自分の妻として頼りになりそうな女を選ぶとなると選択肢がおほぎて、逆に決めようがなかったんですよ。朝廷みかどつかえるをとこの中から国家の柱石となるべき人ものを選ぶにしても、真に器のおほきい人を選びすとなれば難しいに決まってますやん。カリスマ的な人であっても、一人や二人で世の中を治められるはずもありませんから、上は下に助けられて、下は上に従って、広い国家を支え合っているもんでしょう。

 ところが狭い家庭の主婦として選ぶべき女一人に思いをめぐらせると、絶たいに外せないポイントがあれこれたくさんあります。あれは良いけどこれはダメ、あれはできるけどこれはできんとか、別に普かよでいいのに、悪くないレベルの女でさえ少ない。遊び半分の下心で女のありさまをおほ比べてやろうなんて趣味はないんで、付き合う時点で『この人を妻に思い定めん!」って勢いなんですけどね、どうせなら労力をかけてダメなところを矯正する必要がない、最初から理想にかなう女はいないのかと選り好みを始めるものですから、結局その人を妻にする決心がつかないんだと思います。