第2帖「帚木」(2)つれづれと降り暮らして

国貞『源氏香の図』
典:国会図書館「NDLイメージバンク」

原文・語釈

つれづれと降り暮らして

 つれづれとらして、しめやかなるよひの雨に、殿上てんじやうにもをさをさ人少ひとずくなに、御宿直所とのゐどころれいよりはのどやかなるここするに、大殿油おほとなぶらちかくてふみどもなどたまふ。ちか御厨子みづしなる、いろいろのかみなるふみどもをでて、中将わりなくゆかしがれば、

「さりぬべき、すこしはせむ。かたはなるべきもこそ」

 と、ゆるしたまはねば、

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  • ことことし【事事し】:ものものしい。おほげさだ。
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そのうちとけてかたはらいたし

「そのうちとけてかたはらいたし、とおぼされんこそゆかしけれ。おしなべたるおほかたのは、 数ならねど、ほどほどにつけてきかはしつつもはべりなん。おのがじし、うらめしき折々をりをりがほならむゆふれなどのこそ、見所みどころはあらめ」

 とゑんずれば、やむごとなく、せちかくしたまふべきなどはかやうにおほぞうなる御厨子みづしなどにうちおきらしたまふべくもあらず、ふかりおきたまふべかめればまちの心安きなるべし。片端かたはしづつるに、

「よく、さまざまなるものどもこそはべりけれ」

 とて、心あてに「それかかれか」などふ中に、つるもあり、もてはなれたることをもおもせてうたがふもをかしとおぼせど、ことずくなにてとかくまぎらはしつつ、とりかくしたまひつ。

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  • ちゅうじゃう【中将】:近衛府の次官。
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それこそおほく集へたまふらめ

「そこにこそおほつどへたまふらめ。すこしばや。さてなんこの厨子づしも心よくひらくべき」

 とのたまへば、

「御覧じ所あらむこそ、かたくはべらめ」

 などこえたまふついでに、

「女の、これはしもと、なんつくまじきはかたくもあるかな、とやうやうなむたまへる。ただうはべばかりのなさけはしき、をりふしのいらへ心てうちしなどばかりは、随分ずいぶんによろしきもおほかりとたまふれど、そもまことにそのかたでんえらびに、かならずるまじきはいとかたしや。わが心たることばかりをおのがじし心をやりて、人をばおとしめなど、かたはらいたきことおほかり。

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  • かたし【難し】:めったにない。まれである。
  • なんつく【難付く】:欠点をつける。非難する。
  • いらへ【答へ・応へ】:返事。返答。
  • うちす【打ち為】:ちょっとする。無造作にする。
  • ずいぶんに【随分に】:身分相応に。身にふさわしく。
  • よろし【宣し】:まあよい。悪くはない。
  • とりいず【づ】:り上げる。
  • こころをやる【心を遣る】:得意になる。心を満足させる。
  • おとしむ【貶む】:下す。さげすむ。軽蔑する。
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親などひもてあがめて

おやなどひもてあがめて、さきこもれるまどのうちなるほどは、ただかたかどをつたへて心をうごかすこともあめり。かたちをかしくうちおほどき、わかやかにてまぎるることなきほど、はかなきすさびをも人まねに心をるることもあるに、おのづからひとつゆゑづけてしづることもあり。

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  • あがむ【崇む】:おほ切にする。かわいがる。
  • おひさきこもる【生ひ先こもる】:若くて将来に豊かな可能性を秘めていること。
  • まどのうち【窓の内】:深窓(奥の部屋)でおほ切に育てられる娘。『長恨歌』 に「養在深閨人未識」とある。 
  • かたかど【片才】:わずかな才芸。少しのとりえ。
  • かたち【容貌】:容姿・顔ち。
  • おほどく:おおらかな感じがする。おっとりしている。
  • わかやか【若やか】:若々しいようす。ういういしいさま。
  • まぎる【まぎる】:ごたごたする。あることに気をとられて、そのことを忘れる。
  • すさび【遊び・荒び】:なりゆきのままにどんどん気持ちが進むこと。乗り気になること。気まぐれ。
  • こころいる【心入る】:心がひかれる。熱心にする。
  • ゆゑづく【故付く】:もの事が並々でなく、いかにもわけありげで、派で趣のある感じ。
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る人、おくれたる方をばひ隠し

る人、おくれたるかたをばかくし、さてありぬべきかたをばつくろひてまねびだすに、それしかあらじと、そらにいかがはおしはかりおもたさむ。まことかともてゆくに、おとりせぬやうはなくなんあるべき」

 と、うめきたるけしきもはづかしげなれば、いとなべてはあらねど、我、おぼはすることやあらむ、

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  • おくる【後る・遅る】:(才能などが)劣る。
  • さてありぬべし【然て有りぬべし】:そのままでよいようだ。
  • まねびいだす【学びだす・真似びだす】:たりいたりしたことを本当らしくまねて語る。 
  • そらなり【空なり・虚なり】:根拠がないさま。いいかげんなさま。あて推量なさま。
  • おしはかる【推し量る】:あることを根拠・規準にして他のことを推測する。
  • くたす【朽たす】:非難する。けなす。
  • うめく【呻く】:ため息をつく。嘆息する。
  • はづかしげ【づかしげ】:きまり悪く思っているさま。
  • なべて【並べて】:すべて。
  • おぼしあはす【思し合はす】:お思い当たりになる。
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現代語訳

帚木(ハハキギ・コキア)

 夜までずっと降り続いて、しめやかな宵の雨に、殿上の間にもほとんど人影がありません。源氏の君の宿直所も普段よりのどかな雰囲気で、灯火を近くにせて手紙などをご覧になっています。すぐそばのしに入っている色とりどりの紙に書かれた文を何かよして、中将がむやみに読みたがると、

「当たり障りないのを少しはせましょう。中には苦しいのもあるでしょうけど」

 と源氏の君はいつつも、なかなかせてはくれません。

「その油断したそばからられてはまずい、と思われるような文こそたかったんですよ。ありきたりな普かよ文なら、あなたほどモテない私でも、相応に文かよしていればることもありましょう。それぞれの女たちが、あなたのつれなさを恨めしく思っている時のとか、あなたを待ち焦がれている夕暮れ時のとか、そういう文にこそどころがあるでしょうに」

 と中将がネチネチうので、源氏の君はつか方なくおせになります。おほ切に隠しておくべき秘密の手紙を、いい加減に置き散らかしているはずもありません。深く奥にしまい込んでいるにちがいありませんから、その辺にあるのは二流のなんでもない手紙なのでしょう。中将は片っ端から手紙を読んで、

「よくもこんなに、さまざまな手紙がありますね」

 といいながら、あてずっぽうに

「これはあの人ですか? こっちはあの女でしょう?」

 などと問いただす中に、い当てるものもあります。まったくかけ離れた人まで結びつけて疑ってくるのも、それはそれで源氏の君は面白がっておりましたが、葉少なにうまくごまかしつつ、手紙を隠してしまいました。

「あなたこそおほく集めているのでしょう? 少したいものですね。そうしたら私も心よくせますよ」

 と源氏の君がおっしゃると、

「わざわざご覧になる価値があるような手紙なんて、そうそうないですよ」

 などと中将は申しながら続けて、

「女の、この人こそはまさにと、欠点がないであろう女はまあいないと、ようやくわかってきました。ただうわべばかりの情で手紙を走り書きして、々の返事も作法をわきまえてそつなくこなすだけなら、それなりに悪くない女もおほいと思います。でもそれも、本格的にその方面の才をりあげて選ぶとなったら、必ずはずれないような女はめったにいませんね。自分がっていることばかり得意げになって、他の人を小馬鹿にするとか、はたからていてみっともないことがおほいのですよ。

 親などが付きっきりでかわいがり、豊かな将来を約束された箱入り娘などは、ほんのわずかな才芸を人づてに伝えて、をとこ心をくすぐることもありましょう。た目がかわいらしくおっとりしていて、若さゆえに他に気がまぎれることもないような年頃は、ひと時の気まぐれでも周りに流されて熱をあげることもありますから、勝手に一つわけありげな情緒をえて愛することもありますね。

 その娘の世話人は、人より劣っているところは口にさずに隠し、良いところばかりをうまくいつくろって、いかにもらしく語るのですよ。さすがにそれはないでしょうと、根拠もないのに勝手な想像でけちをつけるわけにもいきません。それで実際はどんな人だろうと会いにおこなったら、がっかりしないなんてことはまずないでしょう」

 と、ため息をつくようすもまんざらではないので、中将の話がすべてではないにしても、源氏の君は思い当たることがおありのようで、