第2帖「帚木」

第2帖「帚木」(17)すべて男も女も、わろものは

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国貞『源氏香の図』
出典:国立国会図書館「NDLイメージバンク」
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第2帖「帚木」(16)さて、いと久しくまからざりしに
第2帖「帚木」(16)さて、いと久しくまからざりしに

原文・語釈

すべて男も女も

「すべて、男も女もわろものは、わづかにれるかたのことをのこりなくくさむとおもへるこそ、いとほしけれ。三史五経さんしごきやう道々みちみちしきかたあきらかにさとかさんこそ愛敬あいぎやうなからめ、などかは女とはんからに、世にあることの公私おほやけわたくしにつけて、むげにらずいたらずしもあらむ。すこしもかどあらむ人の、みみにもにもとまること、ねんおほかるべし。

語釈
  • わろもの【悪者】:優れていない人。未熟な人。教養のない人。
  • いとほし:かわいそうだ。気の毒だ。いじらしい。かわいい。
  • さんしごきゃう【三史五経】:『史記』『漢書』『後漢書』の史書と、『周易』『尚書』『詩経』『礼記』『春秋』の経書。
  • みちみちし【道道し】:学問的で理屈っぽい。
  • あいぎゃう【愛敬】:愛らしさ。魅力。
  • むげに【無下に】:(下に打消しを伴って)全然。まったく。まるで。
  • かど【才】:才能。才気。

さるままには真名を走り書きて

さるままには真名まなはしきて、さるまじきどちのをんなぶみなかぎてきすくめたる、あなうたて、この人のたをやかならましかば、とえたり。ここにはさしもおもはざらめど、おのづからこはごはしきこゑみなされなどしつつ、ことさらびたり。じやうらうのなかにもおほかることぞかし。

語釈
  • まな【真名】:「仮名」に対して、真(正式)の字という意。漢字。
  • どち:⋯どうし。⋯仲間。
  • をんなぶみ【女文】:女性が書いた手紙。
  • すくむ【竦む】:縮ませる。固くする。すぼめる。
  • うたて:情けない。いやだ。
  • たをやか【嫋やか】:(性質や態度・動作が)おだやかである。しとやかである。やさしい。
  • こはごはし【強強し】:ぎこちない。
  • ことさらぶ【殊更ぶ】:わざとらしいようすをする。
  • じゃうらう【上臈】:上流の女性。

歌詠むと思へる人の

 うたむとおもへる人の、やがてうたにまつはれ、をかしき古言ふることをもはじめよりみつつ、すさまじきをりをりみかけたるこそものしき事なれ。かへしせねばなさけなし、えせざらむ人ははしたなからん。

語釈
  • まつはる【纏はる】:ものごとにとらわれる。執着する。
  • ふること【古言】:古歌。古い詩。
  • すさまじ【凄じ・冷じ】:(不調和で)興ざめである。気乗りがしない。
  • ものし【物し】:不愉快だ。
  • かへし【返し】:返歌。
  • なさけなし【情け無し】:相手に対する情が薄い。情趣を解さない。風情がない。
  • はしたなし【端なし】:体裁が悪い。心ない。そっけない。

さるべき節会など

さるべきせちなど、五月のせちいそぎまゐるあしたなにのあやめもおもひしづめられぬに、えならぬきかけ、九日ここぬかえんに、まづかたき詩の心をおもひめぐらしいとまなきをりに、きくの露をかこちせなどやうの、

語釈
  • せちゑ【節会】:節供や公事の日に、天皇が宮中に廷臣を集めて催す酒宴。
  • あやめ【文目】:物事の筋道。道理。分別。
  • おもひしづむ【思ひ鎮む】:気持ちを落ち着ける。
  • えならぬ:なんとも言えないほど素晴らしい。
  • ここぬかのえん【九日の宴】:陰暦9月9日の節句に催す観菊の宴。重陽の宴。
  • きくのつゆ【菊の露】:重陽の節句の前夜に、菊の花にかぶせて露をしみこませた綿で身体をぬぐうしきたりがあった。老いをぬぐいさるとされた。
  • かこちよす【託ち寄す】:他のものにことよせて言う。こじつける。

つきなきいとなみに合はせ

つきなきいとなみにはせ、さならでも、おのづから、げにのちにおもへばをかしくもあはれにもあべかりける事の、そのをりにつきなくにとまらぬなどを、おしはからずでたる、なかなか心おくれてゆ。

語釈
  • つきなし【付き無し】:ふさわしくない。似つかわしくない。
  • あべかり:あるに違いない。あるだろう。
  • おしはかる【推し量る】:推察する。
  • なかなか【中中】:なまじっか。かえって。むしろ。
  • こころおくる【心後る】:気がきかない。愚かだ。

よろづのことに

 よろづのことに、などかは、さても、とおぼゆるをりから、時々思ときときおもかぬばかりの心にては、よしばみなさたざらむなんめやすかるべき。すべて、心にれらむことをもらずがほにもてなし、はまほしからむことをもひとふたつのふしはぐすべくなんあべかりける」

 とふにも、

語釈
  • などかは:どうして⋯か。なぜ⋯か。
  • さても【然ても】:そうであっても。そのままの状態でも。
  • ときとき【時時】:その時その時。その季節その季節。
  • おもひわく【思ひ分く】:わきまえる。分別する。
  • よしばむ【由ばむ】:由緒ありげなようすをする。気どる。上品ぶる。
  • なさけだつ【情け立つ】:風流ぶる。

君は人ひとりの御ありさまを

君は人ひとりの御ありさまを心のうちおもひつづけたまふ。これにらず、また、さしぎたることなくものしたまひけるかなと、ありがたきにもいとどむねふたがる。いづかたつともなく、はてはてはあやしきことどもになりてかしたまひつ。

語釈
  • 人ひとり:藤壺のこと。
  • さしすぐ【差し過ぐ】:限度をこえる。でしゃばる。
  • ありがたし【有り難し】:(めったにないほど)尊くすぐれている。
  • むねふたがる【胸塞がる】:胸がいっぱいになる。
  • はてはて【果て果て】:あげくの果て。しまいには。

現代語訳

菖蒲(アヤメ)

「総じて、男も女も教養のない人は、わずかに知っている方面のことを残りなくひけらかそうと思うからこそ、大変残念なのです。三史五経といった本格的な学問を、明らかに悟り明かしているような女も愛嬌がないですよね。

 だいたい女だからといって、世にまかり通っている公私ともの常識について、まるっきり知らぬ存ぜずなんてことがありましょうか。少しでも教養がある女なら、耳にも目にもとまることが自然と多いはずです。

 そうやって覚えたての漢字を走り書きして、仮名で書くべき女同士の手紙に半分以上も漢字で書き散らかしているのとか、ああ無理無理。この女が穏やかな性格だったらいいけど、そんなわけないよなって思ってしまいます。向こうはそんな気持ち一切ないのでしょうけど、聞くからにぎこちない声で読まれても、無理して気取っているように感じるものです。こういう女、上流階級にも割と多いんですよね。

 自称歌詠みがすぐに歌にとらわれて、優れた古歌を初っ端から取り入れながら、まったく気乗りしない時にまで一方的に詠んでくるのとか超しんどいやん。返歌せんかったら情けない奴、返そうともせん人はサイコパス認定ですよ。

 どうしても出席せないかん節会とかありますやん。五月五日の端午の節句に、急いで参内の準備をしている朝にですよ、菖蒲のことを考える余裕なんてあるわけないのに、立派な菖蒲の根があったからって歌を詠んできたり、九月九日の観菊の宴では、いきなり難しい詩のお題が出てあれこれ思案しまくって暇もない時に、菊の露にこじつけた歌を寄こしてきたり、そういう場の空気を読まない行いに付き合わされて、いや今じゃなくてもって思いません?

 そのうち、ふと後になって思えば面白く風情ある歌に感じられるはずのことでも、その時は歌を詠むべき時ではないから目にもとまらないわけです。そんなことも想像できずに歌を詠み押しつけてくるのは、かえって気がきかない女に見えます。

 何事においても、なぜそれをするのか、今じゃないのでは、と思われる空気から、その時その時にふさわしいかどうかの分別もつかない程度の心では、気取ったり風流ぶったりしない方が無難でしょう。総じて、心に知っていることでも知らん顔でやり過ごし、言いたいことがあっても一つや二つは我慢するぐらいがいいのです」

 と、言うのを聞くにつけても、源氏の君はただ一人のお方を心のうちに思い続けていました。今の話に不足なく、また、出過ぎることもなく振る舞われておられることよと、他にはいない尊いお方だといっそう胸がいっぱいになる。雨夜の品定めはどちらに決着するということもなく、果てにはあやしげな話になって夜を明かしたのでした。

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保坂陽平(ヤンピン)
保坂陽平(ヤンピン)
福岡県宗像市在住。2024年9月から『源氏物語』の全訳に挑戦しています。10年がかりのライフワークです。
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