第2帖「帚木」

第2帖「帚木」(14)咲きまじる色はいづれと

Fc1vaOy4reQd
国貞『源氏香の図』
出典:国立国会図書館「NDLイメージバンク」
前回はこちら
第2帖「帚木」(13)君すこし片笑みて
第2帖「帚木」(13)君すこし片笑みて

原文・語釈

咲きまじる色はいづれと

  きまじる色はいづれとわかねどもなほ常夏とこなつにしくものぞなき

 やまとなでしこをばさしおきて、まづちりをだになどおやの心をる。

  うちはらふ袖も露けき常夏とこなつにあらし吹きそふ秋もにけり

 とはかなげにひなして、まめまめしくうらみたるさまもえず、涙をらしとしても、いとはづかしくつつましげにまぎらはしかくして、つらきをもおもりけりとえむはわりなくくるしきものとおもひたりしかば、心やすくて、またとえおきはべりしほどに、あともなくこそかきちてうもせにしか。

語釈
  • とこなつ【常夏】:なでしこの異称。
  • しく【及く】:及ぶ。
  • こころをとる【心を取る】:機嫌をとる。
  • はかなげ【果無げ・果敢無げ】:たいしてことでないようす。さりげなく。
  • まめまめし【忠実忠実し】:本気である。
  • かきけつ【掻き消つ】:すっかり消す。姿を消す。

まだ世にあらばはかなき世にぞ

 まだにあらばはかなきにぞさすらふらん。あはれとおもひしほどに、わづらはしげにおもひまつはすけしきえしかば、かくもあくがらさざらまし。こよなきとえおかず、さるものにしなして、ながるやうもはべりなまし。かのなでしこのらうたくはべりしかば、いかでたづねむとおもひたまふるを、いまもえこそきつけはべらね。

語釈
  • さすらふ【流離ふ】:さまよい歩く。落ちぶれて寄るべきのない身となる。
  • おもひまつはす【思ひ纏はす】:思い慕って付きまとう。
  • あくがらす【憧らす】:行くえ知らずにさせる。
  • ざらまし:⋯ないだろうに。

これこそのたまへるはかなきためし

 これこそのたまへるはかなきためしなめれ。つれなくて、つらしとおもひけるもらで、あはれえざりしも、やくなき片思かたおもひなりけり。いまやうやうわすれゆくきはに、かれはた、えしもおもはなれず、をりをり人やりならぬむねこがるるゆふべもあらむとおぼえはべり。これなんえたもつまじくたのもしげなきかたなりける」

語釈
  • つれなし:平気だ。さりげない。
  • やくなし【益無し】:むだである。
  • ひとやりならず【人遣りならず】:他がさせることでなくて、自分の意志ですることである。

さればこのさがなものも

「さればこのさがなものも、おもであるかたわすれがたけれど、さしあたりてんにはわづらはしく、よくせずはきたきこともありなんや。ことすすめけんかどかどしさもすきたる罪重つみおもかるべし」

「この心もとなきも、うたがふべければ、いづれとつひにおもさだめずなりぬるこそ」

語釈
  • さがなもの【さがな者】:性格の悪い人。口うるさい人。左馬頭が話した指食い女。
  • よくせずは【能くせずは】:悪くすると。
  • あきたし【飽きたし】:飽き飽きする。うんざりするほどだ。ひどくいやである。
  • 琴の音すすめけん:左馬頭が話した二人目の女。
  • かどかどしさ【才才しさ・角角しさ】:才気があること。性格がけわしいこと。とげとげしいこと。
  • 心もとなき:頭中将が話した失踪した女。

世中や、ただかくこそ

世中よのなかや、ただかくこそ。りにくらぐるしかるべき。このさまざまのよきかぎりをなんずべきくさはひまぜぬ人はいづこにかはあらむ。きちじやうてんによおもひかけむとすれば、ほふけづきくすしからむこそまたわびしかりぬべけれ」

 とて、みなわらひぬ。

語釈
  • とりどり【取り取り】:それぞれに違っているようす。さまざま。
  • くらべぐるし【比べ苦し】:比較することがむずかしい。調子や心をあわせるのがむずかしい。つきあいにくい。
  • とりぐす【取り具す】:とりそろえる。添える。
  • くさはひ【種】:原因。材料。対象。種類。
  • ほふけづく【法気付く】:人間離れして仏くさくなる。
  • くすし【奇し・霊し】:霊妙だ。ふつうと変わっている。現実離れしていて不自然である。
  • わびし【侘し】:興ざめだ。おもしろくない。

式部が所にぞけしきあることはあらむ

「式部が所にぞけしきあることはあらむ。すこしづつかたり申せ」

 とめらる。

しもしものなかにはなでふことかこしめし所はべらむ」

 とへど、とうの君、まめやかに、

「おそし」

めたまへば、何事をり申さんとおもひめぐらすに、

語釈
  • せむ【責む】:せきたてる。求める。
  • なでふ:どれほどの(⋯か、いや⋯ない)。
  • まめやか【忠実やか】;まじめである。本格的である。
  • おそし【遅し】:早く。急かす言い方。
続きを読む
第2帖「帚木」(15)まだ文章の生にはべりし時
第2帖「帚木」(15)まだ文章の生にはべりし時

現代語訳

きまじる色はいづれとわかねどもなほ常夏とこなつにしくものぞなき

咲きまじる色はいずれが美しいともわかりかねますが、なお常夏(なでしこの異名、常と床をかけて妻)に及ぶ花はないのです。

 幼子を差し置いて、まずは寝床の塵を払う母親の心を打ちました。

うちはらふ袖も露けき常夏とこなつにあらし吹きそふ秋もにけり

 塵をうち払う袖も涙の露でしめっぽい常夏に、嵐(中将の妻からの嫌がらせを暗示)が吹き付ける秋も来てしまいました。

 と、さりげなく言いつくろって、本気で恨んでいるような表情も見えず、涙を漏らし落としても恥ずかしがって、慎ましく紛らわして隠そうとします。私のことが心底つらいと、その思いを私に悟られることはそれ以上に苦しいと思っているようでした。それで私は気が楽になって、また通うのを後回しにしていたら、その間に女は跡形もなく消え失せてしまいました。

 まだ世に生きているのなら、はかなき世に落ちぶれてさまよっているでしょう。愛しいと思っていた頃に、うっとうしいぐらいに思い付きまとう態度が見えたなら、こんな行くえ知らずの身にさせることなんてなかっただろうに。あんなにまで放置せず、それなりの通い妻として長く面倒を見ることだってできた。あの幼子が可愛らしかったので、どうにかして探し出したいと思っているのですが、今や噂を聞きつけることもできません。

これこそ左馬頭殿のおっしゃる、はっきりしない女の例でありましょう? 表面上はつれなくしていながら、内心はつらいと思っていたことも知らないで、愛しい気持ちが絶えなかったのも、何も実を結ばない片思いというものでした。今だんだんと忘れかけている時に、あの女もまた忘れることができず、何かきっかけがある度に自ら胸を焦がす夕べもあるだろうと思うのです。はい、これが妻としての関係は保てない、はっきりしない女の例でした」

「そういうことならこの口うるさかった指噛み女も、思い出はある女なので忘れがたかったんですけど、さしあたって結婚しようものなら煩わしく、下手したらうんざりするほど嫌になる可能性もあったんやろうなあ。他の男とせっせと琴の音を鳴らしたあの女も、才気があるからって男好きなのは重罪だわ」

「この心もとない失踪女も、疑おうと思えば他の男についていったかもしれませんし、結局どういう女がいいかなんて決められませんね」

「世の中そんなもんでしょう。いろんな女がいるわけで、比べようがなくて当たり前です。それぞれの良いところだけを並べたところで、難点が混じってない女はどこにいるんでしょうかね。吉祥天女に思いをかけたとしたら、もはや仏くさくて生身の人間と思えず、それこそもう興ざめでおもしろくないやろ」

 と言うので、みんな笑ってしまいました。

「式部の所にもなんか面白い女がおったやろ。ちょっと話せや」

 とせきたてます。藤式部丞は、

「下の下の身分である私に、そんな聞く価値のあるような女なんているでしょうか」

 と言いますが、頭の君は真顔で、

「いいから早く」

 と責めるので、どの女を取り上げて話そうかと思いめぐらせて、

続きを読む
第2帖「帚木」(15)まだ文章の生にはべりし時
第2帖「帚木」(15)まだ文章の生にはべりし時
ABOUT ME
保坂陽平(ヤンピン)
保坂陽平(ヤンピン)
福岡県宗像市在住。2024年9月から『源氏物語』の全訳に挑戦しています。10年がかりのライフワークです。
記事URLをコピーしました