第2帖「帚木」

第2帖「帚木」(13)君すこし片笑みて

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国貞『源氏香の図』
出典:国立国会図書館「NDLイメージバンク」
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第2帖「帚木」(12)男いたくめでて
第2帖「帚木」(12)男いたくめでて

原文・語釈

君すこし片笑みて

 君すこしかたみて、さる事とはおぼすべかめり。

「いづかたにつけても人わるくはしたなかりけるものがたりかな」

 とてうちわらひおはさうず。

 中将、

「なにがしは痴者しれもの物語ものがたりをせむ」

 とて、

「いとしのびてそめたりし人の、さてもつべかりしけはひなりしかば、ながらふべきものとしもおもうたまへざりしかど、れゆくままにあはれとおぼえしかば、わすれぬものにおもひたまへしを、さばかりになればうちたのめるけしきもえき。

語釈
  • みものがたり【身物語】:身の上話。
  • おはさうず【御座さうず】:(複数者がみな)⋯ていらっしゃる。
  • しれもの【痴者】:愚か者。
  • ながらふ【永らふ・長らふ・存ふ】:長く続く。

頼むにつけてはうらめしと思ふ事も

たのむにつけてはうらめしとおもふ事もあらむと、心ながらおぼゆるをりをりもはべりしを、見知みしらぬやうにて、ひさしきとえおをも、かうたまさかなる人ともおもひたらず、ただ朝夕あさゆふにもてつけたらむありさまにえて心ぐるしかりしかば、たのめわたる事などもありきかし。おやもなく、いと心ぼそげにて、さらばこの人こそはとことにふれておもへるさまもらうたげなりき。

語釈
  • たまさか【偶】:まれである。ときたま。
  • もてつく【もて付く】:身につける。装う。
  • たのめ【頼め】:頼りに思わせること。
  • わたる【渡る】:ずっと⋯する。
  • らうたげ:かわいらしいさま。いたわってやりたくなるさま。

かうのどけきにおだしくて

 かうのどけきにおだしくて、ひさしくまからざりしころ、このたまふるわたりより、なさけなくうたてある事をなん、さるたよりありてかすめはせたりける、後にこそきはべりしか。

語釈
  • のどけし【長閑けし】:おとなしい。
  • おだし【穏し】:穏やかである。
  • わたり【辺り】:(婉曲的に)人。
  • なさけなし【情け無し】:思いやりがない。嘆かわしい。
  • うたてあり【うたて有り】:ひどい。
  • たより【頼り・便り】:つて。うわさ。
  • かすむ【掠む】:ほのめかす。

さるうき事やあらむとも知らず

さるうき事やあらむともらず、心にわすれずながら、消息せうそこなどもせでひさしくはべりしに、むげにおもひしをれて、こころぼそかりければ、をさなきものなどもありしに、おもひわづらひて、なでしこの花ををりておこせたりし」

 とてなみだぐみたり。 

語釈
  • おもひしをる【思ひ萎る】:悲観する。
  • をさなきもの【幼き者】:中将との間に子供がいた。
  • おもひわづらふ【思ひ煩ふ】:思い悩む。思案にくれる。
  • なでしこ【撫子・瞿麦】:(「撫でし子」の意で)愛しい子を暗示する。
  • おこす【遺す】:(人や物を)こちらに寄こす。送ってくる。

さてその文の言葉は

「さてそのふみことは」

 とひたまへば、

「いさや、ことなる事もなかりきや。

  山がつのかきるともをりをりにあはれはかけよなでしこの露

 おもでしままにまかりたりしかば、れいのうらもなきものから、いとものおもがほにて、れたるいへの露しげきをながめてむしきほへるけしき、むかしものがたりめきておぼえはべりし。

語釈
  • いさや:さあねえ。そうですねえ。
  • やまがつ【山賤】:きこり・猟師などの、山里に住む身分の低い者。また、その粗末な家。
  • かきほ【垣穂】:垣。囲い。
  • うらなし:気づかいをしない。心のへだてがない。
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第2帖「帚木」(14)咲きまじる色はいづれと
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現代語訳

帚木(ハハキギ・コキア)

 源氏の君は少し微笑みながら、そういう事もあるだろうとお思いのようです。

「いずれにしても、人聞きの悪い、はしたない身の上話ですね」

 と笑っておられます。

 中将は、

「それがしは愚か者の物語を話しましょう」

 と言って、

「ごく内密に通い始めた人で、そのまま関係を続けていけそうな雰囲気になった女がいました。末永く関係を続けようとまでは思ってなかったんですが、仲が深まるにつれて好きになってきて、たまにしか会わなくても忘れることのない女に思っておりました。そうすると向こうも、私と一緒になりたいような感じになってきまして。

 一緒になるとなれば私を恨めしく思うこともあるだろうと、我ながら心当たりのある事もちょいちょいありましたが、女は見知らぬ顔をしてました。久しく通わなかった時も、そういうめったに来ない男という表情も出さず、一途に朝から夕方まで妻として振る舞おうとする姿を見てると心苦しくなってきて、一生一緒にいてくれやと言ったこともありました。

 親もなく、とても心細そうな感じで、だからこそこの人こそはと、何かにつけて私を頼ってくれるところも、守ってあげたくなるような女でした。

 そんなおとなしい彼女に安心して久しく通っていなかったら、うちの嫁あたりから情け容赦ないひどいことを、あるつてを使って伝えさせたとか、後になって聞いたんですよ。そんな嫌がらせがあろうとも知らず、心には忘れずながら、手紙なども送らないで久しく放置してたら、すっかり悲観して心細くなったのでしょう。私たちの間には幼い子供もいましたから、悩みに悩んで、なでしこの花を折ってこちらに寄越してきました」

 と言って涙ぐんでいます。

「で、その手紙の言葉は?」

 と源氏の君が問うと、

「いやあ、そんな大したアレじゃなかったよ。

山がつのかきるともをりをりにあはれはかけよなでしこの露

山里のみすぼらしい家の垣根が荒れても、時々はかわいがってあげてください、私たちのなでしこ(幼子)を。

 思いが出るままに女を訪ねたら、例のように気にかけていないような態度でしたが、無表情で荒れた家の露に覆われた庭をボーッと見ながら、虫の音に競うようにすすり泣く様子は、昔の物語にもありそうな情景でした。

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保坂陽平(ヤンピン)
保坂陽平(ヤンピン)
福岡県宗像市在住。2024年9月から『源氏物語』の全訳に挑戦しています。10年がかりのライフワークです。
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