第2帖「帚木」(13)君すこし片笑みて

国貞『源氏香の図』
典:国会図書館「NDLイメージバンク」

原文・語釈

君すこし片みて

 君すこしかたみて、さる事とはおぼすべかめり。

「いづかたにつけても人わるくはしたなかりけるものものがたりかな」

 とてうちわらひおはさうず。

 中将、

「なにがしは痴者しれものものものがたりをせむ」

 とて、

「いとしのしのびてそめたりし人の、さてもつべかりしけはひなりしかば、ながらふべきものとしもおもうたまへざりしかど、れゆくままにあはれとおぼえしかば、わすれぬものにおもひたまへしを、さばかりになればうちたのめるけしきもえき。

[jinr_heading_iconbox1 title= ]
  • みものがたり【身もの語】:身の上話。
  • おはさうず【御座さうず】:(複数者がみな)⋯ていらっしゃる。
  • しれもの【痴者】:愚か者。
  • ながらふ【永らふ・長らふ・存ふ】:長く続く。
[/jinr_heading_iconbox1]

頼むにつけてはうらめしとおもふ事も

たのむにつけてはうらめしとおもふ事もあらむと、心ながらおぼゆるをりをりもはべりしを、みしらぬやうにて、ひさしきとえおをも、かうたまさかなる人ともおもひたらず、ただ朝夕あさゆふにもてつけたらむありさまにえて心ぐるしかりしかば、たのめわたる事などもありきかし。おやもなく、いと心ぼそげにて、さらばこの人こそはとことにふれておもへるさまもらうたげなりき。

[jinr_heading_iconbox1 title= ]
  • たまさか【偶】:まれである。ときたま。
  • もてつく【もて付く】:身につける。装う。
  • たのめ【頼め】:頼りに思わせること。
  • わたる【渡る】:ずっと⋯する。
  • らうたげ:かわいらしいさま。いたわってやりたくなるさま。
[/jinr_heading_iconbox1]

かうのどけきにおだしくて

 かうのどけきにおだしくて、ひさしくまからざりしころ、このたまふるわたりより、なさけなくうたてある事をなん、さるたよりありてかすめはせたりける、後にこそきはべりしか。

[jinr_heading_iconbox1 title= ]
  • のどけし【長閑けし】:おとなしい。
  • おだし【穏し】:穏やかである。
  • わたり【辺り】:(婉曲的に)人。
  • なさけなし【情け無し】:思いやりがない。嘆かわしい。
  • うたてあり【うたて有り】:ひどい。
  • たより【頼り・便り】:つて。うわさ。
  • かすむ【掠む】:ほのめかす。
[/jinr_heading_iconbox1]

さるうき事やあらむともらず

さるうき事やあらむともらず、心にわすれずながら、消息せうそこなどもせでひさしくはべりしに、むげにおもひしをれて、こころぼそかりければ、をさなきものなどもありしに、おもひわづらひて、なでしこの花ををりておこせたりし」

 とてなみだぐみたり。 

[jinr_heading_iconbox1 title= ]
  • おもひしをる【おもひ萎る】:悲観する。
  • をさなきもの【をさなき者】:中将との間に子供がいた。
  • おもひわづらふ【おもひ煩ふ】:思い悩む。思案にくれる。
  • なでしこ【子・瞿麦】:(「でし子」の意で)愛しい子を暗示する。
  • おこす【遺す】:(人やものを)こちらにこす。送ってくる。
[/jinr_heading_iconbox1]

さてその文の葉は

「さてそのふみことは」

 とひたまへば、

「いさや、ことなる事もなかりきや。

  山がつのかきるともをりをりにあはれはかけよなでしこの露

 おもでしままにまかりたりしかば、れいのうらもなきものから、いとものおもがほにて、れたるいへの露しげきをながめてむしきほへるけしき、むかしものものがたりめきておぼえはべりし。

[jinr_heading_iconbox1 title= ]
  • いさや:さあねえ。そうですねえ。
  • やまがつ【山賤】:きこり・猟師などの、山里に住む身分の低い者。また、その粗末な家。
  • かきほ【垣穂】:垣。囲い。
  • うらなし:気づかいをしない。心のへだてがない。
[/jinr_heading_iconbox1]

現代語訳

帚木(ハハキギ・コキア)

 源氏の君は少し微みながら、そういう事もあるだろうとお思いのようです。

「いずれにしても、人きの悪い、はしたない身の上話ですね」

 とっておられます。

 中将は、

「それがしは愚か者のもの語を話しましょう」

 とって、

「ごく内密にかよい始めた人で、そのまま関係を続けていけそうな雰囲気になった女がいました。末永く関係を続けようとまでは思ってなかったんですが、仲が深まるにつれて好きになってきて、たまにしか会わなくても忘れることのない女に思っておりました。そうすると向こうも、私と一緒になりたいような感じになってきまして。

 一緒になるとなれば私を恨めしく思うこともあるだろうと、我ながら心当たりのある事もちょいちょいありましたが、女はらぬ顔をしてました。久しくかよわなかった時も、そういうめったに来ないをとこという表情もさず、一途に朝から夕方まで妻として振る舞おうとする姿をてると心苦しくなってきて、一生一緒にいてくれやとったこともありました。

 親もなく、とても心細そうな感じで、だからこそこの人こそはと、何かにつけて私を頼ってくれるところも、守ってあげたくなるような女でした。

 そんなおとなしい彼女に安心して久しくかよっていなかったら、うちの嫁あたりから情け容赦ないひどいことを、あるつてを使って伝えさせたとか、後になっていたんですよ。そんな嫌がらせがあろうともらず、心には忘れずながら、手紙なども送らないで久しく放置してたら、すっかり悲観して心細くなったのでしょう。私たちの間にはをさない子供もいましたから、悩みに悩んで、なでしこの花をってこちらに越してきました」

 とって涙ぐんでいます。

「で、その手紙の葉は?」

 と源氏の君が問うと、

「いやあ、そんなおほしたアレじゃなかったよ。

山がつのかきるともをりをりにあはれはかけよなでしこの露

山里のみすぼらしい家の垣根が荒れても、時々はかわいがってあげてください、私たちのなでしこ(をさな子)を。

 思いがるままに女を訪ねたら、例のように気にかけていないような態度でしたが、無表情で荒れた家の露に覆われた庭をボーッとながら、虫の音に競うようにすすり泣く様子は、昔のもの語にもありそうな情景でした。