第2帖「帚木」(13)君すこし片笑みて

出典:国立国会図書館「NDLイメージバンク」

原文・語釈
君すこし片笑みて
君すこし片笑みて、さる事とはおぼすべかめり。
「いづ方につけても人わるくはしたなかりける身物語りかな」
とてうち笑ひおはさうず。
中将、
「なにがしは痴者の物語りをせむ」
とて、
「いと忍びて見そめたりし人の、さても見つべかりしけはひなりしかば、ながらふべきものとしも思うたまへざりしかど、馴れゆくままにあはれとおぼえしかば、絶え絶え忘れぬものに思ひたまへしを、さばかりになればうち頼めるけしきも見えき。
頼むにつけてはうらめしと思ふ事も
頼むにつけてはうらめしと思ふ事もあらむと、心ながらおぼゆるをりをりもはべりしを、見知らぬやうにて、久しきと絶えおをも、かうたまさかなる人とも思ひたらず、ただ朝夕にもてつけたらむありさまに見えて心ぐるしかりしかば、頼めわたる事などもありきかし。親もなく、いと心ぼそげにて、さらばこの人こそはとことにふれて思へるさまもらうたげなりき。
かうのどけきにおだしくて
かうのどけきにおだしくて、久しくまからざりしころ、この見たまふるわたりより、なさけなくうたてある事をなん、さるたよりありてかすめ言はせたりける、後にこそ聞きはべりしか。
さるうき事やあらむとも知らず
さるうき事やあらむとも知らず、心に忘れずながら、消息などもせで久しくはべりしに、むげに思ひしをれて、心細かりければ、をさなきものなどもありしに、思ひわづらひて、なでしこの花ををりておこせたりし」
とて涙ぐみたり。
さてその文の言葉は
「さてその文の言葉は」
と問ひたまへば、
「いさや、ことなる事もなかりきや。
山がつの垣穂荒るともをりをりにあはれはかけよなでしこの露
思ひ出でしままにまかりたりしかば、例のうらもなきものから、いともの思ひ顔にて、荒れたる家の露しげきをながめて虫の音に競へるけしき、昔物語めきておぼえはべりし。

現代語訳

源氏の君は少し微笑みながら、そういう事もあるだろうとお思いのようです。
「いずれにしても、人聞きの悪い、はしたない身の上話ですね」
と笑っておられます。
中将は、
「それがしは愚か者の物語を話しましょう」
と言って、
「ごく内密に通い始めた人で、そのまま関係を続けていけそうな雰囲気になった女がいました。末永く関係を続けようとまでは思ってなかったんですが、仲が深まるにつれて好きになってきて、たまにしか会わなくても忘れることのない女に思っておりました。そうすると向こうも、私と一緒になりたいような感じになってきまして。
一緒になるとなれば私を恨めしく思うこともあるだろうと、我ながら心当たりのある事もちょいちょいありましたが、女は見知らぬ顔をしてました。久しく通わなかった時も、そういうめったに来ない男という表情も出さず、一途に朝から夕方まで妻として振る舞おうとする姿を見てると心苦しくなってきて、一生一緒にいてくれやと言ったこともありました。
親もなく、とても心細そうな感じで、だからこそこの人こそはと、何かにつけて私を頼ってくれるところも、守ってあげたくなるような女でした。
そんなおとなしい彼女に安心して久しく通っていなかったら、うちの嫁あたりから情け容赦ないひどいことを、あるつてを使って伝えさせたとか、後になって聞いたんですよ。そんな嫌がらせがあろうとも知らず、心には忘れずながら、手紙なども送らないで久しく放置してたら、すっかり悲観して心細くなったのでしょう。私たちの間には幼い子供もいましたから、悩みに悩んで、なでしこの花を折ってこちらに寄越してきました」
と言って涙ぐんでいます。
「で、その手紙の言葉は?」
と源氏の君が問うと、
「いやあ、そんな大したアレじゃなかったよ。
山がつの垣穂荒るともをりをりにあはれはかけよなでしこの露
山里のみすぼらしい家の垣根が荒れても、時々はかわいがってあげてください、私たちのなでしこ(幼子)を。
思いが出るままに女を訪ねたら、例のように気にかけていないような態度でしたが、無表情で荒れた家の露に覆われた庭をボーッと見ながら、虫の音に競うようにすすり泣く様子は、昔の物語にもありそうな情景でした。
