第2帖「帚木」

第2帖「帚木」(11)中将、そのたなばたの裁ち縫ふ方を

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国貞『源氏香の図』
出典:国立国会図書館「NDLイメージバンク」
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第2帖「帚木」(10)臨時の祭の調楽に
第2帖「帚木」(10)臨時の祭の調楽に

原文・語釈

中将、そのたなばたの裁ち縫ふ方をのどめて

 中将ちゆうじやう

「そのたなばたのかたをのどめて、ながちぎりにぞあえまし。げにそのたつひめにしきにはまたしくものあらじ。はかなき花紅葉はなもみじふも、をりふしの色あひつきなくはかばかしからぬは、露のはえなくえぬるわざなり。さあるにより、かたき世とはさだめかねたるぞや」

 とひはやしたまふ。

語釈
  • のどむ【和む】:気を落ち着ける。後回しにする。
  • ながきちぎり【長き契り】:織姫と彦星との長い夫婦の縁。
  • あゆ【肖ゆ】:幸せな人と同じように自分もそうありたいと思う。あやかる。
  • またし【全し】:完全である。欠けるところがなく、整っている。
  • はかばかし【果果し・捗捗し】:際立っている。はっきりしている。
  • はえなし【映え無し】:ぱっとしない。引き立たない。見ばえがしない。

さて、また同じころ、まかり通ひし所は

「さて、またおなじころ、まかりかよひしところは、人もちまさり、心ばせまことにゆゑありとえぬべく、うちみ、はしき、爪音つまおとつき、くちつき、みなただたどしからず見聞みききわたりはべりき。

語釈
  • たちまさる【立ち勝る】:(人柄・心・程度などが)まさる。すぐれる。
  • こころばせ【心ばせ】:すぐれた気配りや心づかい。情緒を解する心。風流心。
  • ゆゑ【故】:すぐれた素性。教養。
  • かいひく【掻い弾く】:弦楽器を奏でる。
  • つまおと【爪音】:琴爪で琴を弾く音。
  • くちつき【口付き】:口の形。口もとのようす。物の言い方。歌の詠みぶり。
  • たどたどし:おぼつかない。確かでない。あぶなっかしい。

見る目もこともなくはべりしかば

もこともなくはべりしかば、このさがなものをうちとけたるかたにて、ときどきかくろへはべりしほどは、こよなく心とまりはべりき。

語釈
  • みるめ【見る目】:見た感じ。容姿。
  • ことなし【事無し】:悪い所がない。非難すべき点がない。
  • さがなもの【さがな者】:手に負えない人。やかましや。
  • うちとく【打ち解く】:油断する。心がゆるむ。
  • かくろへ【隠ろへ】:隠しごと。秘密。

この人うせて後、いかがはせむ

 この人せて後、いかがはせむ、あはれながらもぎぬるはかひなくて、しばしばまかりるるには少しまばゆく、えんにこのましき事はにつかぬ所あるに、うちたのむべくはえず、かれがれにのみせはべる程に、しのびて心かはせる人ぞありけらし。

語釈
  • まかる【罷る】:「行く」の丁寧語。まいります。
  • まばゆし【目映ゆし・眩し】:きまりが悪い。
  • このまし【好まし】:好色らしい。
  • かれがれ【離れ離れ】:とだえがちなさま。絶え絶え。
  • こころかはす【心交はす】:互いに心を通わせる。愛し合う。

神無月のころほひ、月おもしろかりし夜

神無月かむなづきのころほひ、月おもしろかりし夜、内裏うちよりまかではべるに、ある上人うへびとあひて、この車にあひりてはべれば、大納言の家にまかりとまらむとするに、この人ふやう、

『こよひ人つらむ宿やどなんあやしく心苦しき』

 とて、この女の家はたきぬみちなりければ、れたるくづれより池の水かげえて、月だに宿やどみかをぎむもさすがにて、りはべりぬかし。

語釈
  • かむなづき【神無月】:陰暦十月。
  • うへびと【上人】:殿上人。
  • まかる【罷る】:(他の動詞の上に付いて)謙譲の意を表す。
  • こころぐるし【心苦し】:気がかりである。
  • はた【将】:⋯もまた。
  • くづれ【崩れ】:築地の崩れている所。
  • さすが:そうはいってもやはり。なんといっても。

もとよりさる心をかはせるにや

 もとよりさる心をかはせるにやありけん、この男いたくすずろきて、門近かどちからうすのだつものにしりかけてとばかり月をる。きくいとおもしろくうつろひわたり、風にきほへる紅葉もみぢみだれなど、あはれとげにえたり。

語釈
  • すずろく【漫ろく】:落ち着かない。心がはやる。そわそわする。
  • すのこ【簀子】:寝殿造りなどで、廂の外側にある板敷の縁側。濡れ縁。
  • – だつ:⋯のようになる。⋯めく。
  • とばかり:ちょっとの間。しばらくの間。
  • きほふ【競ふ】:散り乱れる。

律の調べは、女のものやはらかに掻き鳴らして

ふところなりけるふえでてらし、『かげもよし』などつづしりうたふほどに、よくごむ調しらべととのへたりける、うるはしくはせたりしほど、けしうはあらずかし。りち調しらべは、女のものやはらかにらして、うちよりこえたるも、いまめきたるもののこゑなれば、きよくめる月にをりつきなからず。

語釈
  • つづしる【嘰る】:少しずつ何かをする。食べたり、歌を口ずさんだり、歩いたりするなどの動作をいう。
  • わごん【和琴】:日本古来の6弦の琴で、雅楽や神楽などに用いられる。
  • うるはし【麗し・美し・愛し】:乱れたところがなく、きちんとしている。
  • かきあはす【掻き合はす】:合奏する。
  • けしうはあらず【怪しうはあらず・異しうはあらず】:そんなに悪くない。
  • りち【律】:雅楽での音階の一つ。「呂」に比べて音調が高く、短音階的なもの。
  • いまめく【今めく】:目新しく華やかにする。現代風に派手にする。
  • つきなし【付き無し】:ふさわしくない。
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第2帖「帚木」(12)男いたくめでて
第2帖「帚木」(12)男いたくめでて

現代語訳

帚木(ハハキギ・コキア)

 中将は、

「その裁縫の腕前とかいうのはいいとして、彦星と織姫みたいな長い夫婦の縁にあやかれたら良かったのにな。確かにその竜田姫の錦には、まったくかなう女なんておらんかったんやろう。はかない花紅葉ってやつも、季節によって色合いがバラバラではっきりせんし、まったくパッとせんまま消えていくもんやん。そんなんやから、理想の女を見つけることすら難しいこの世の中で、一人の妻を定めるとかできんで当たり前や」

 と言いはやしています。

「さて、また同じ頃に通っておりました女の所は、家柄もあの女より上で、感性も本当に教養が深いと見えました。歌を詠ませても、文を書かせても、琴を爪弾く音色、その手つき、口つき、何でも器用にこなすので、見るにも聴くにも飽きませんでした。見た目も別に悪くなかったんで、あのメンヘラ女は都合のいい通い所ってことにして、時々この女とも内緒で会っていたんですけど、その時はこよなく気に入っていました。

 あの女が死んだ後、まあどうしようもないっすよね、かわいそうとは思いながらも、時が過ぎればなんてこともなくて、しばしばその女の所へ通うようになりました。でも通い慣れてくると、女が少し派手過ぎて、色気出して男好きそうなところが目についてしまいます。ちょっと信用できそうにないわと思って、たまに通うだけにしていたら、その間に忍んで心を通わせる男ができたっぽかったんです。

 神無月(旧暦十月)の頃、月が見事な夜でした。内裏より退勤しようとすると、一人の殿上人が来合わせまして、自分の車に相乗りしてきました。今夜は大納言の家に泊まろうかと思ったら、この人がこんなことを言ってきたんです。

『今夜はなんか、人を待ってるだろう宿が、えらく気になりますね』

 自分の女の家もまた同じルート沿いだったので、崩れた塀の上から池の水面に月影が見えて、月さえも宿る住みかを素通りするのもさすがに情趣ないなってことで、自分も下りてその人の後を追うことにしました。

前からそうやって、心を通わせていたんでしょう。この男はえらく浮き浮きしながら、門の近くにある縁側みたいなところに座って、しばらく月を見ています。菊の色が美しく移ろいわたり、風に散り乱れる紅葉なども実に趣深く見えました。

 男は懐から笛を取り出して吹き鳴らし、『影もよし』などをワンフレーズごとに歌います。その合間に女は良い音が鳴る和琴を、チューニングを合わせて用意していたのをきちんと笛に合わせて弾いていて、それもまあ悪くはなかったですね。この律の曲調は、女がもの柔らかに弾き鳴らして、御簾の奥から聞こえてくる感じがまた良くて、今どきの華やかな音色ですから、清く澄んだ月を見るまさにその夜にしっくり合います。

弾いて今風にかき鳴らす爪音が、下手ではなかったですけど目まいがする心地でしたよ。

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第2帖「帚木」(12)男いたくめでて
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保坂陽平(ヤンピン)
保坂陽平(ヤンピン)
福岡県宗像市在住。2024年9月から『源氏物語』の全訳に挑戦しています。10年がかりのライフワークです。
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