第2帖「帚木」(10)臨時の祭の調楽に

国貞『源氏香の図』
典:国会図書館「NDLイメージバンク」

原文・語釈

臨時の祭の調ととの楽に

りんまつり調ととのてうがくに、ふけていみじうみぞれ、これかれまかりあかるる所にて、おもひめぐらせばなほいへおもはむかたはまたなかりけり、内裏うちわたりのたびすさまじかるべく、けしきばめるあたりはそぞろさむくや、とおもうたまへられしかば、

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  • りんじのまつり【臨時の祭】:賀茂神社で陰暦11月の下の酉の日におこなわれた祭。
  • てうがく【調ととの楽】:舞楽の予おこななら。宮中の楽所でおこなわれる。
  • これかれ【此彼】:この人あの人。調ととの楽のまゐ加者たち。
  • まかりあかる【罷り散る】:(退して)散り散りに別れる。
  • たびね【旅寝】:自宅以外の所で寝ること。
  • すさまじ【凄じ】:その場にそぐわず興ざめだ。殺風景である。
  • けしきばむ【気色ばむ】:意中をほのめかす。きどる。風流ぶる。
  • そぞろさむし【漫ろ寒し】:うすら寒い。ぞっとするほどすばらしい。
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いかがおもへるとけしきもがてら

いかがおもへるとけしきもがてら、雪をうちはらいつつ、なま人わろくつめはるれど、さりともよひごろのうらみはとけなむとおもひたまへしに、火ほのかにかべそむけ、なえたるきぬどものあつえたるおほおほいなるこもにうちかけて、ぐべき、もののかたびらなどうちげて、よひばかりやとちけるさまなり。

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  • なま【生】:(接頭)不完全な、未熟な、なんとなく、少し。
  • ひとわろし【人悪し】:外が悪い。みっともない。
  • つめくふ【爪食ふ】:爪をかむ。もじもじする。ずかしがる時のしぐさ。
  • なふ【萎ふ】:類などが、のりが落ちたり、着なれたりして柔らかくなる。くたくたになる。
  • あつごゆ【厚肥ゆ】:厚くふくらむ。
  • かたびら【帷・帷子】:几帳きちやうにかけて、へだてとして用いた布。
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さればよ、と心おごりするに

さればよ、と心おごりするに、正身さうじみはなし。さるべき女房にようばうどもばかりとまりて、

おやいへに、このさりなんわたりぬる」

こたへはべり。えんなる歌もまず、けしきばめる消息せうそこもせで、いとひたやごもりになさけなかりしかば、あへなきここして、さがなくゆるしなかりしも我をうとみねとおもかたの心やありけむと、さしもたまへざりしことなれど、心やましきままにおもひはべりしに、るべきもの、つねよりも心とどめたる色あひ、しざま、いとあらまほしくて、さすがにわがみすてん後をさへなんおもひやり後見うしろみたりし。

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  • こころおごり【心驕り】:得意になること。慢心。
  • さうじみ【正身】:その人。本人。当人。
  • ひたやごもり【直屋隠り】:ひたすら家にきこもっていること。そっけない。
  • あへなし【敢え無し】:期待はずれだ。がっかりだ。
  • こころやまし【心疾し・心疚し】:(思いどおりにならずに)不満である。不愉快だ。
  • こころとどむ【心留む】:念入りにする。
  • しざま【為様】:服のつかて方。
  • あらまほし:理想的だ。
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さりとも、絶えておもひ放つやうはあらじ

さりとも、えておもはなつやうはあらじとおもうたまへて、とかくひはべりしを、そむきもせずと、たづねまどはさむともかくしのしのびず、かかやかしからずいらへつつ、ただ、

「ありしながらはえなん見過みすぐすまじき。あらためてのどかにおもひならばなんあひるべき」

などひしを、さりともえおもはなれじとおもひたまへしかば、しばしらさむの心にて、「しかあらためむ」ともはず、いたくつなきてせしあひだに、いといたくおもなげきてはかなくなりはべりにしかば、たはぶれにくくなむおぼえはべりし。

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  • おもひはなつ【思い放つ】:思いを捨てる。
  • まどはす【惑はす】:所在をわからなくさせる。心を動揺させる。
  • かかやかし【輝かし・赫かし】:ずかしい。きまりが悪い。
  • いらふ【答ふ・応ふ】:答える。
  • ありしながら【在りしながら】:昔のまま。もとのまま。
  • はかなくなる:死ぬ。
  • たはぶれにくし【たはぶれにくし】:軽くすませられないほどに重おほである。
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ひとへにうち頼みたらむ方は

ひとへにうちたのみたらむかたは、さばかりにてありぬべくなんおもひたまへでらるる。はかなきあだ事をも、まことのおほ事をも、はせたるにかひなからず、たつひめはむにもつきなからず、たなばたのにもおとるまじくそのかたして、うるさくなんはべりし」

とて、いとあはれとおもでたり。

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  • ひとへに【偏に】:ひたすらに。いちずに。むやみに。まったく。
  • ありぬべし【有りぬべし・在りぬべし】:あるはずだ。あるにちがいない。
  • あだこと【徒事】:ちょっとしたたはぶれごと。つまらないこと。浮気なおこな為。
  • いひあはす【い合はす】:相談する。
  • たつたひめ【竜田姫】:秋の女神。この神がくれなゐ葉を織りなすと信じられた。染色に秀でていることを思わせる。
  • つきなし【付き無し】:ふさわしくない。適切でない。不都合である。
  • たなばた【棚機】:はた。織機。
  • ぐす【具す】:そなわる。そろう。
  • うるさし:すぐれている。りっぱである。
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現代語訳

帚木(ハハキギ・コキア)

 そんな中、宮中で祭の練ならがありまして、夜もふけておほ荒れのみぞれが降る晩、みんなが帰る時にどうすっかなーと考えをめぐらせると、やっぱり帰りたいと思うのはあの女の家だな、それ以外にないわとなりまして。宮中で寝るのは味気ないし、自分に惚れてるっぽい他の女のところへくのもぞわっとするなあ、と思われましたので、どうしてるのかと様子をがてら、雪を払いながらおこなってみたんです。

 さすがにちょっと気まずくて爪をかむ思いだったんですけど、それでも今夜みたいな雪の晩に訪ねたら、あの日以来の恨みも解けるだろうなって期待もありました。女の家に着くと、灯火を壁にせて、部屋をほのかに薄暗くしているではありませんか。今日けふ着て柔らかくなった装の、厚くふくらんでいるのをおほきなかごに掛けて、き上げるべき几帳きちやうの布なども上げてあったんです。今夜あたり来るのではないかと、いかにも自分を待っているかのような様子でした。

「やっぱりな」といい気になってたら、当の本人はいません。何人かの女房ばかりが残っていて、

『今夜はご実家にかけられましたよ』

 と答えるんです。甘い歌も詠まず、匂わせな手紙も残さず、あまりにそっけなく風情のないつか打ちに心底がっかりしましたよ。女が口やかましく自分に容赦しなかったのも、「私のことを嫌いになってほしい」って気持ちからだったのかもしれないと、いや、そうはえなかったんですけど、予想外にイラつくままに、そんな風にまで考えました。

 でも用意してある着ものはいつも以上に念が入っていて、色合いもつかても完璧だったんです。喧嘩したとはいえさすがに、自分が捨てたをとこの後のことまでも思いやって、世話をしてくれていたのでした。

 そんな無愛想な感じでも、これっきりで縁が切れて思いを捨てるようなことはなかろうと思いまして、よりを戻そうといろいろってみたんですけど、女は否定するでもなく、捜させて困らせようと身を隠すでもなく、自分にをかかせないほど度には返事もくれました。ただ、

『あなたがこのままなら、とてもごすことはできません。心を改めて落ち着こうとお思いなら、また一緒になりましょう』

 などとってきたのを、そうなことってもどうせ私への思いが離れることはないだろうと、もうしばらくらしめてやろうという心で、改めてやるなんてわなかったんです。ムキになって駆けきをしているうちに、女はひどく心を痛めて思い嘆き、はかなく死んでしまいました。もはや冗談にもならない、やってはいけないことをしたと気づいたのでした。

 妻としてひとえに頼りになるであろう女は、あのような気質であるべきだと思いされます。ちょっとしたことも、おほ事なことも、相談しがいがないということはなく、竜田姫とってもではないほど染めものが得意で、七夕の織姫にも劣らないレベルの裁縫の腕前も兼ね備えた、本当に巧みな女でした」

 と、哀れなことをしてしまったと思いしているようです。