第2帖「帚木」

第2帖「帚木」(6)いまはただ、品にもよらじ

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国貞『源氏香の図』
出典:国立国会図書館「NDLイメージバンク」
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第2帖「帚木」(5)必ずしもわが思ふにかなはねど
第2帖「帚木」(5)必ずしもわが思ふにかなはねど

原文・語釈

いまはただ、品にもよらじ

「いまはただ、しなにもよらじ、かたちをばさらにもはじ。いとくちをしくねぢけがましきおぼえだになくは、ただひとへに、ものまめやかにしづかなる心のおもむきならむるべをぞ、つひのたのみ所にはおもひおくべかりける。あまりゆゑよし、心ばせうちへたらむをばよろこびにおもひ、すこしおくれたるかたあらむをもあながちにもとくはへじ。うしろやすくのどけき所だにつよくは、うはべのなさけはおのづからもてつけつべきわざをや。

語釈
  • ねぢけがまし【拗けがまし】:ひねくれている。素直でない。
  • ゆゑ【故】:すぐれた素性。教養。
  • こころばせ【心ばせ】:気だて。性格。すぐれた気配りや心づかい。
  • あながち【強ち】:むりやりなさま。一方的なさま。
  • うしろやすし【後ろ安し】:心配がない。安心できる。
  • つよし【強し】:(心が)しっかりとしている。気丈である。
  • もてつく【もて付く】:身につける。

艶にもの恥して

えんにものはぢして、うらみふべきことをも見知みしらぬさまにしのびて、うへはつれなくみさをづくり、心ひとつにおもひあまる時は、はんかたなくすごきこと、あはれなるうたみおき、しのばるべきかたをとどめて、ふか山里やまざと、世ばなれたるうみづらなどにはひかくれぬるをりかし。

語釈
  • えん【艶】:思わせぶりなさま。
  • つれなし:平然としている。そしらぬ顔である。
  • みさをつくる【操作る】:平気なふりをする。いつもと変わらぬふりをする。
  • しのぶ【偲ぶ】:思い慕う。なつかしむ。
  • はひかくる【這ひ隠る】:はうようにして逃げ隠れる。ひそみ隠れる。
  • をり【居り】:いる。存在する。

童にはべりしとき

わらはにはべりしとき、女房などのものがたりみしをきて、いとあはれにかなしく心ふかきことかな、と涙をさへなんとしはべりし。いまおもふには、いと軽々かるがるしくことさらびたることなり。心ざしふかからんをとこをおきて、まへにつらきことありとも、人の心を見知みしらぬやうに逃げかくれて、人をまどはし心をんとするほどに、ながき世のものおもひになる、いとあぢきなきことなり。

語釈
  • こころふかし【心深し】:情や思慮などが深い。
  • ことさらぶ【殊更ぶ】:わざとらしく見える。
  • こころざし【心ざし】:愛情。
  • まどはす【惑はす】:心を乱れさせる。動揺させる。
  • こころをみる【心を見る】:気持ちを試す。
  • ながきよのものおもひ【長き世の物思ひ】:のちのちまでの後悔。夫婦の離縁を言う。
  • あぢきなし【味気無し】:わびしくつまらない。

心深しやなどほめたてられて

『心深しや』、などほめたてられて、あはれすすみぬれば、やがてあまになりぬかし。おもひ立つほどはいと心めるやうにて、世にかへりみすべくもおもへらず。『いで、あな悲し。かくはた、おぼしなりにけるよ』などやうに、あひれる人とぶらひ、ひたすらにしともおもはなれぬ男きつけて涙とせば、使つかふ人、ふるたちなど、『君の御心はあはれなりけるものを。あたら御身を』などふ。

語釈
  • かへりみ【顧み】:反省。
  • いで:いやもう。いやまあ。
  • あな:ああ。あら。
  • かくはた:こうもまた。
  • とぶらふ【訪ふ】:問う。尋ねる。見舞う。
  • ふるごたち【古御達】:年をとった女房たち。
  • あたら【惜】:もったいないことに。惜しくも。

みづから額髪をかきさぐりて

みづからひたひがみをかきさぐりて、あへなく心細ければ、うちひそみぬかし。しのぶれど涙こぼれそめぬれば、折々をりをりごとにえねんず、くやしきことおほかめるに、仏もなかなか心ぎたなしとたまひつべし。にごりにめるほどよりも、なまかびにてはかへりてしきみちにもただよひぬべくおぼゆる。えぬ宿すくあさからで、あまにもなさでたづりたらんも、やがてそのおもでうらめしきふしあらざらんや。

語釈
  • ひたひがみ【額髪】:前髪。当時は尼になっても髪を残せたが、肩のあたりで切りそろえるため前髪が短くなる。
  • あへなし【敢へ無し】:どうしようもない。手応えがない。
  • うちひそむ【打ち顰む】:顔をしかめて泣き出しそうになる。
  • こころきたなし【心汚し】:心が卑しい。執着心が捨てきれない。
  • なまうかび【生浮かび】:中途半端に仏道に入ること。なまはんかな悟り。
  • あしきみち【悪しき道】:〘仏教語〙悪道。悪趣。現世で悪事をした者が、死後に落ち行く世界。
  • すくせ【宿世】:前世。前世からの因縁。宿縁。運命。
  • たづねとる【尋ね取る】:探し求めて手に入れる。
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第2帖「帚木」(7)あしくもよくもあひ添ひて
第2帖「帚木」(7)あしくもよくもあひ添ひて

現代語訳

帚木(ハハキギ・コキア)

「今はただ、品にもよらず、見た目などはこれ以上言いますまい。どうしようもなく残念でひねくれた性格でなければOK。ただ一途に、誠実で落ち着いた心を感じさせる人をこそ、最後の頼りとして決めるべきでした。教養があればなお良し、さらに気配り上手なら出会えただけでラッキーだと思い、多少抜けている点があろうとも無理やり直させるようなことはしません。安心して前を向くことができてメンヘラでさえなければ、うわべだけの愛も自然と本物になっていくもんじゃないですかね。

 わざとらしく恥ずかしがって、夫に文句を言ったっていいような時も見知らぬようすで我慢して、表面上はそ知らぬ顔で平気なふり。それがいきなり我慢の尾が切れると、口に出せないようなヤバい言葉で死にたいみたいな歌を詠んで、呪いのような形見を残して深い山里や浮世離れした海辺に隠れてしまう女もいますからね。

 子供の頃、女房たちがそんな物語を読み聞かせてくれましたよ。その時はとても哀れで悲しくて、いろいろ悩んだ末の決断だったのかなと、涙まで流していました。でも今思うと、そんなのは軽々しい気持ちで、わざとやってることなんですよ。愛情深い夫を残して、たとえ目の前につらいことがあろうとも、人の気持ちをわかろうともせずに逃げ隠れて、相手を動揺させて気持ちを試そうとする。そうしているうちに最後は夫に見放されて、一生後悔するとか、アホみたいにつまらないことです。

『深い心意気で』、などと周りからもてはやされて、あわれにも気持ちだけが先走ってしまえば、そのまま尼になってしまうのですよ。思い立った時はすっかり心が透明になったような気がして、世に未練が残るだろうなんて思いもしません。

『まあ、なんて悲しいのでしょう。こうもまた、よく思い切られたことですね』、などと言いながら知り合いが見舞いに来たり、超面倒くさいと思いながらも未練を断ち切れない男が、それを聞きつけて涙を落としたりするとどうでしょう。使用人や古参の女房たちが、『ご主人の心は愛情深かったものを、惜しいことにあなたの身は⋯⋯』などと言うのです。

 女は前髪をかき上げようとして、尼削ぎにもう後戻りできないことを実感すれば、きっと今にも泣き出しそうになるでしょうよ。我慢しても涙がこぼれはじめてしまったら、もう何を思い出しても涙が止まりません。後悔することが多いように見えれば、仏もまだまだ心がけがれているようだとご覧になるに違いありません。俗世で濁りに染められている時よりも、中途半端に仏道に入る時の方が、かえって悪道をさまようことになるだろうと思われます。絶えない前世からの宿縁が浅くなく、尼になる前に探し出して引き戻したとしても、そのうち家出騒ぎが思い出されて、残念なことが起こるでしょうや。

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第2帖「帚木」(7)あしくもよくもあひ添ひて
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保坂陽平(ヤンピン)
保坂陽平(ヤンピン)
福岡県宗像市在住。2024年9月から『源氏物語』の全訳に挑戦しています。10年がかりのライフワークです。
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