第1帖「桐壺」(15)この君の御童姿
第1帖「桐壺」
原文・語釈
この君の御童姿、いと変へまうく思せど
この君の御童姿、いと変へま憂く思せど、十二にて御元服したまふ。居起ち思しいとなみて、限りあることにことを添へさせたまふ。ひととせの春宮の御元服、南殿にてありし儀式、よそほしかりし御響きに落とさせたまはず。
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- わらは【童】:元服以前の子供。10歳前後の子供。
- げんぶく【元服】:男子の成人を祝う儀式。髪を大人ふうに改め、冠をかぶり、大人仕立ての服を着る。
- ゐたつ【居立つ】:じっとしていられず、こまごまと世話をする。
- おぼしいとなむ【思し営む】:心を尽くしてことにおあたりになる。
- かぎり【限り】:決まり。規則。おきて。
- ひととせ【一年】:先年。
- とうぐう【東宮・春宮】:皇太子の御殿。帝の第一皇子、弘徽殿女御の子のこと。
- なでん【南殿】:紫宸殿の別名。即位や朝賀、節会などの宮中の公事を行う場所。
- よそほし【装ほし】:おごそかで盛大である。
- ひびき【響き】:世間の評判。
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所々の饗など、内蔵寮、穀倉院など
所々の饗など、内蔵寮、穀倉院など、おほやけごとに仕うまつれる、おろそかなることもぞと、とりわき仰せ言ありて、きよらを尽くして仕うまつれり。
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- きやう【饗】:ごちそう。饗宴。
- くらづかさ【内蔵寮】:中務省に属し、宮中の金銀財宝や装束、祭祀の具などを管理する役所。
- こくさうゐん【穀倉院】:畿内諸国から調として納めた銭や、官有田などからとれた穀物を保管・貯蔵しておいた倉庫。
- おほやけごと【公事】:表向きのこと。しきたり。通りいっぺんの役目や仕事。
- きよら【清ら】:最高の美しさ。善美。華美。ぜいたく。
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おはします殿の東の廂
おはします殿の東の廂、東向きに椅子立てて、冠者の御座、引入の大臣の御座、御前にあり。申の時にて、源氏参りたまふ。みづら結ひたまへるつらつき、顔のにほひ、さま変へたまはむこと惜しげなり。
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- でん【殿】:清涼殿。天皇の常の御座所。
- ひさし【廂】:寝殿造りで、母屋の外、簀の子より内側にある細長い部屋。
- いし【椅子】:天皇が座る椅子。
- くゎんざ【冠者】:元服をして冠をつける者。源氏の君のこと。
- ひきいれ【引入】:元服のとき、冠をかぶらせること。また、その役の人。
- おとど【大臣】:左大臣。
- さるのとき【申の時】:午後4時頃。
- みづら【角髪】:平安時代の少年の髪型。髪を左右に分け、耳のあたりでたばねる髪型。
- つらつき【面付き・頬付き】:顔つき。
- にほひ【匂ひ】:つやのある美しさ。気品。
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大蔵卿、蔵人仕うまつる
大蔵卿、蔵人仕うまつる。いときよらなる御髪をそぐほど、心苦しげなるを上は、御息所の見ましかばと思し出づるに、堪へがたきを、心強く念じかへさせたまふ。
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- おほくらきやう【大蔵卿】:大蔵省(諸国の調、財宝などの管理出納をつかさどる役所)の長官。
- くらうど【蔵人】:理髪役。
- みやすんどころ【御息所】:源氏の君の母、桐壺更衣。
- ねんじかへす【念じ反す】:今の気持ちをおさえて、ほかに考えを向ける。
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かうぶりしたまひて、御休み所に
かうぶりしたまひて、御休所にまかでたまひて、御衣たてまつり替へて、おりて拝したてまつりたまふさまに、皆人涙落としたまふ。帝はた、ましてえ忍びあへたまはず、思し紛るる折もありつる昔のこと、とりかへし悲しく思さる。いとかうきびはなるほどは、あげ劣りやと疑はしく思されつるを、あさましううつくしげさ添ひたまへり。
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- かうぶり【冠】:元服して初めて冠をかぶること。
- やすみどころ【休所】:休憩所。休息する場所。楽屋。控え室。
- まかづ【罷づ】:退出する。おいとまする。
- おる【下る・降る】:退出する。
- はいす【拝す】:頭を下げて礼をする。感謝の意を表すために舞踏する。
- はた【将】:もまた。それでもやはり。
- とりかへし【取り返し】:初めに返って。もう一度改めて。
- きびは:あどけないさま。幼くか弱いさま。
- あげおとり【上げ劣り】:元服して髪上げをしたとき、顔立ちが以前よりも劣って見えること。
- あさまし:驚きあきれるばかりだ。
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引入の大臣の皇女腹に
引入の大臣の皇女腹に、ただ一人かしづきたまふ御むすめ、春宮よりも御けしきあるを、思しわづらふことありける、この君にたてまつらんの御心なりけり。内にも、御けしき賜はらせたまへりければ、
「さらば、この折の後見なかめるを、添臥にも」
ともよほさせたまひければ、さ思したり。
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- みこばら【皇女腹】:皇女(帝の妹で、大臣の夫人)の生んだ子。
- かしづく【傅く】:大切に育てる。
- けしき【気色】:内意。春宮からの入内の御所望。
- おぼしわづらう【思し煩う】:あれこれと思い悩まれる。思案される。
- うち【内】:帝。
- そひぶし【添臥】:添い寝。元服の夜、選ばれた公卿などの娘が添い寝すること。
- もよほす【催す】:うながす。催促する。
- さ【然】:そのように。
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さぶらひにまかでたまひて
さぶらひにまかでたまひて、人々大御酒など参るほど、親王たちの御座の末に源氏着きたまへり。大臣けしきばみ聞こえたまふことあれど、もののつつましきほどにて、ともかくもあへしらひ聞こえたまはず。
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- さぶらひ【侍】:侍所の略。ここでは御休所(控え室)。
- おほみき【大御酒】:神や天皇、皇族などに差し上げる酒。
- まゐる【参る】:「食ふ」「飲む」などの尊敬語。召し上がる。
- けしきばむ【気色ばむ】:意中をほのめかす。
- つつまし【慎まし】:気後れのするさま。恥ずかしい。
- ともかくも:なんとも。
- あへしらふ:受けこたえする。あいさつする。
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現代語訳
桐の花
この源氏の君のかわいらしい童の御姿を、大人の装いに変えてしまうのが惜しいと帝は思いますが、12歳で御元服されました。帝はそわそわとあれこれお世話を焼かれて、しきたりで定められていることに加えて、それ以上のおもてなしを添えさせます。
先年の春宮の御元服、南殿にてとり行われた儀式が実に盛大であったとの世間の評判に、ひけをとらせないようにしているのです。あちらこちら女房たちのご馳走なども、内蔵寮や穀倉院などに向けて、通りいっぺんの用意では行き届かないこともあるやと、とりわけ特別な仰せ言がありましたので、華美の限りを尽くしてご調進されました。
清涼殿の東側の廂に、東向きに帝がお座りになる御椅子を立てて、元服する源氏の君と加冠役の大臣の御座がその御前にあります。
儀式が始まる申の時になりましたので、源氏の君がお入りになりました。角髪を結っていらっしゃる美少年の顔立ち、色つや、かわいらしいさまをお変えになろうことが惜しいようです。
大蔵卿が理髪役をお務めになられます。とても清らかで美しい御髪を削いでいくにつれて、心苦しそうになるのを帝は、「亡き更衣が見ていたならば⋯⋯」と思い出されては涙がこみ上げてくるのを、心強く念じておさえています。
加冠の儀をお済ませになり、御休み所に下がって成人の御衣装に着替えられて、東庭におりてお礼の舞を拝される御姿に、参列者は皆涙を落とされます。帝はというと、誰よりもまして涙をこらえきれず、思い紛れる折もあった昔のことを引き戻して悲しく思われます。まことにこうも幼い年頃では、元服して髪上げをすると見劣りするのではないかと疑わしくも思っておられましたが、驚き呆れんばかりの輝かしい美しさがさらに増すのでした。
加冠役の大臣の夫人である皇女がお生みになった子に、ただ一人、大切にお育てになられていた姫君がいらっしゃいます。春宮から内々に入内の御所望があるのを、大臣に思い悩まれることがありましたのは、この源氏の君に差し上げようという御心からであったのです。帝にも御内意を賜っていたことで、
「さらば、この元服の折の後見がいないようだから、添臥にも」
と、帝が御催促されると、大臣はそのように御決心されました。
源氏の君が御休所へ退出されて、御祝宴が始まります。参列者たちが大御酒などを召し上がっている間に、親王たちが並ぶ御座の末席に源氏の君は着かれました。
大臣はそれとなく姫君とのことを申し上げますが、もの恥ずかしいお年頃でございますので、なんともお答えできずにおられます。