第1帖「桐壺」(13)年月に添へて、御息所の御ことを

出典:国立国会図書館「NDLイメージバンク」

原文・語釈
年月に添へて、御息所の御ことを
年月に添へて、御息所の御ことを思し忘るる折なし。慰むやと、さるべき人々を参らせたまへど、なずらひに思さるるだにいとかたき世かなと、うとましうのみよろづに思しなりぬるに、先帝の四の宮の御かたちすぐれたまへる聞こえ高くおはします。
母后世になくかしづき聞こえたまふを
母后世になくかしづき聞こえたまふを、上にさぶらふ典侍は、先帝の御時の人にて、かの宮にも親しう参りなれたりければ、いはけなくおはしましし時より見たてまつり、今もほの見たてまつりて、
うせたまひにし御息所の御かたちに
「うせたまひにし御息所の御かたちに似たまへる人を、三代の宮仕へに伝はりぬるにえ見たてまつりつけぬを、后の宮の姫宮こそ、いとようおぼえて生ひ出でさせたまへりけれ。ありがたき御かたち人になん」
と奏しけるに、まことにやと御心とまりて、ねんごろに聞こえさせたまひけり。
母后、あなおそろしや
母后、「あなおそろしや。春宮の女御のいとさがなくて、桐壺の更衣のあらはにはかなくもてなされにし例もゆゆしう」と、思しつつみて、すがすがしうも思し立たざりけるほどに、后もうせたまひぬ。心細きさまにておはしますに、
ただ、わが女御子たちの同じつらに
「ただ、わが女御子たちの同じつらに思ひ聞こえん」
と、いとねんごろに聞こえさせたまふ。さぶらふ人々、御後見たち、御兄人の兵部卿の御子など、「かく心細くておはしまさむよりは、内住みせさせたまひて御心も慰むべく」など思しなりて、参らせたてまつりたまへり。

現代語訳

年月が経つに従っても、帝は更衣との思い出をお忘れになることはありません。慰められることもあろうかと、それらしい人々を参らせなさるけれども、「更衣の面影を思うことさえまったく難しい世かな」と、疎ましいとばかり万事を思いなさっておられました。
そのような折に、先帝の第四皇女が、御容貌がすぐれておられるとの評判が高くおいでです。母である先帝の后が、世にまたとなく大切に守り育てていらっしゃいました。それを帝付きの典侍は、先帝の御時にも仕えていた人で、かの第四皇女にも親しく参りなれていました。御幼少でいらした時から拝見しており、今もほのかにお見かけになると、
「亡くなられた更衣の御容貌に似ている人を、三代にわたる宮仕えを受け継いでいるうちによく見なれてしまっておりましたが、御后様の姫宮こそ、それはそっくりに似て御成長なさり、めったにおられない御容貌の人でございます」
と申し伝えたところ、「まことにや」と帝の御心にとまったので、丁寧に申し上げました。母の后は、
「あなおそろしや。春宮の女御がとんでもなく性悪で、桐壺の更衣が露骨に軽々しく扱われた前例も忌まわしいわ」
と心の内に思われて、すがすがしく思い立てないでいるうちに、后も亡くなられてしまいました。四の宮が心細い様子でいらっしゃるところに、
「ただ、私の皇女たちと同列に思いましょう」
と、丁重に申し上げなさいます。四の宮にお仕えする人々、御後見たち、御兄上の兵部卿の御子など、
「このように心細いままいらっしゃるよりは、内裏にお住いになられたなら姫君の御心も慰められましょう」
などお思いになって、四の宮を参らせなさいました。
