第1帖「桐壺」

第1帖「桐壺」(12)そのころ、高麗人の参れるなかに

Fc1vaOy4reQd
国貞『源氏香の図』
出典:国立国会図書館「NDLイメージバンク」
前回はこちら
第1帖「桐壺」(11)月日経て、若宮参りたまひぬ
第1帖「桐壺」(11)月日経て、若宮参りたまひぬ

原文・語釈

そのころ、高麗人の参れるなかに

 そのころ、高麗こまうどまゐれるなかに、かしこき相人さうにんありけるを聞こしめして、宮のうちに召さんことは宇多うだのみかどの御いましめあれば、いみじう忍びてこの御子を鴻臚館こうろくわんつかはしたり。

 御後見うしろみだちてつかうまつる大弁だいべんの子のやうにおもはせて、てたてまつるに、相人さうにん驚きてあまたたびかたぶきあやしぶ。

語釈
  • さうにん【相人】:人相を見る人。
  • こうろくゎん【鴻臚館】:外国の使節を接待する客間。
  • うしろみだつ【後ろ見だつ】:後見役のように振る舞う。
  • うだいべん【右大弁】:太政官の右弁官局の長官。太政大臣、左大臣に次ぐ地位。
  • ゐる【率る】:連れて行く。
  • かたぶく【傾く】:首をかしげる。不思議がる。
  • あやしぶ【怪しぶ】:不思議に思う。変だと思う。

国の祖となりて

「国のおやとなりて、帝王ていわうかみなきくらゐのぼるべきさうおはします人の、そなたにて見れば、みだうれふることやあらむ。おほやけのかためとなりて、天下をたすくるかたにて見れば、またそのさうたがふべし」

 と言ふ。

語釈
  • おや【祖】:中心的位置にある人。人の上に立つ者。
  • おほやけ【公】:朝廷。
  • かため【固め】:守り固めるもの。柱石。
  • たすく【助く・輔く】:手助けし支える。

弁もいと才かしこき博士にて

 べんもいとざえかしこき博士はかせにて、言ひかはしたることどもなむいときようありける。ふみなど作りかはして、今日けふ明日あすかへりなんとするに、かくありがたき人に対面たいめむしたるよろこび、かへりては悲しかるべき心ばへをおもしろく作りたるに、御子もいとあはれなる句を作りたまへるを、かぎりなうめでたてまつりて、いみじき贈り物どもをささげたてまつる。

 おほやけよりもおほくの物たまはす。おのづからことひろごりて、漏らさせたまはねど、春宮とうぐう祖父おほじ大臣おとどなど、いかなることにかとおぼし疑ひてなむありける。

語釈
  • べん【弁】:太政官に属する官名。
  • ざえ【才】:学問。学識。
  • はかせ【博士】:官職の一つ。学識者。
  • きょう【興】:興味。

帝、かしこき御心に

 みかど、かしこき御こころに、大和やまとさうおほせておぼりにけるすぢなれば、今までこの君を親王みこにもなさせたまはざりけるを、相人さうにんはまことにかしこかりけりとおぼして、

無品むほん親王しんわう外戚げさくせなきにてはただよはさじ。わが御世もいとさだめなきを、ただ人にておほやけの御後見うしろみをするなむ行くさきたのもしげなめること」

 とおぼさだめて、いよいよ道々みちみちざえならはさせたまふ。きはことにかしこくて、ただ人にはいとあたらしけれど、親王みことなりたまひなば世のうたがひたまひぬべくものしたまへば、宿曜すくえうのかしこき道の人にかむがへさせたまふにも同じさまに申せば、げむになしたてまつるべくおぼしおきてたり。

語釈
  • やまとさう【大和相】:日本流の観相。
  • おぼしよる【思し寄る】:考えがおよばれる。
続きを読む
第1帖「桐壺」(13)年月に添へて、御息所の御ことを
第1帖「桐壺」(13)年月に添へて、御息所の御ことを

現代語訳

桐の花

 そのころ、高麗人が参られた中に、すぐれた観相家がいたということをお聞きになられて、宮中に招待しようというのは宇多の帝の御禁戒があるため、ごくごく内密に若宮を鴻臚館に遣わせました。

 御後見という立場でお仕えする右大弁の子のように思わせて、右大臣に若宮を連れて伺わせると、観相家は驚いて何度も何度も首をかしげて不思議がっています。

「一国の始祖となって、帝王という上なき最高位にのぼるべき人相がおありになる人で、その方面の方として見ると、世が乱れて憂いとなることがあるでしょう。国家の柱石となって、天下を手助けする方として見れば、またその相も違ってくるようです」

 と、言います。右大弁も非常に学識の高い博士ですので、高麗人と言い交わしたこと言葉の数々はまことに興味深いものでした。

 漢詩などを作り交わして、「今日明日にも帰り去ろうとする時に、こうも珍しい相のある人に対面できたよろこびは、かえって別れが悲しく感じるでしょう」という心向きを表す漢詩を面白く作ると、若宮もまことに情の深い句をお作りになられます。

 観相家は若宮に限りなく感心されなさって、すこぶる立派な贈り物の数々を捧げられました。宮廷からも多くの贈り物を賜わせます。自然とこの出来事が世間に広まり、帝は外に漏れないようにしてはいましたが、東宮の祖父君の右大臣などは、一体どういうことかと思い疑っていました。

 帝は賢明な御心から、大和の観相を命じられて思い及んでいた道筋でありましたので、今までこの若君を親王にもなさらずにいたのです。高麗からの観相家はまことにすぐれていたと思い、

「位のない親王を、外戚の後ろ盾もない状態で世に漂わせまい。我が治世もまったく一定ではないのだから、臣下として国家の後見をする行く先も頼もしそうなことよ」

 と思い定めて、いよいよ諸芸諸道の学問を習わせました。学力はことに賢くて、臣下とするにはすこぶる惜しいけれど、親王となれば世の疑念を背負うに違いないとお考えになりながら、宿曜のすぐれた道の人に判断させても同じように申すので、源氏性の臣下にしようと思い決めました。

続きを読む
第1帖「桐壺」(13)年月に添へて、御息所の御ことを
第1帖「桐壺」(13)年月に添へて、御息所の御ことを
ABOUT ME
保坂陽平(ヤンピン)
保坂陽平(ヤンピン)
福岡県宗像市在住。2024年9月から『源氏物語』の全訳に挑戦しています。10年がかりのライフワークです。
記事URLをコピーしました