第1帖「桐壺」(11)月日経て、若宮参りたまひぬ

国貞『源氏香の図』
典:国会図書館「NDLイメージバンク」

原文・語釈

月日経て、若宮まゐりたまひぬ

 月日て、若宮まゐりたまひぬ。いとどこの世のものならず、きよらにおよすげたまへれば、いとゆゆしうおぼしたり。

 くるとしの春、坊定ばうさだまりたまふにも、いとさまほしうおぼせど、御後見うしろみすべき人もなく、また、世のうけひくまじきことなりければ、なかなか危ふくおぼはばかりて、色にもださせたまはずなりぬるを、

「さばかりおぼしたれど、かぎりこそありけれ」

 と、ひとよひとこえ、女御も御心おちゐたまひぬ。

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  • きよら【清ら】:清らかで美しいさま。華麗なさま。
  • およすく:成長する。おとなびる。
  • ゆゆし「由由し・忌忌し」:神聖でおそれおほい。
  • ひきこす【き越す】:上位の者をさしおいて上にのぼらせる。
  • うけひく【承けく】:承諾する。承する。
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あの御祖母北の方、慰む方なく思し沈みて

 かの御祖母おばきたかたなぐさかたなくおぼしづみて、おはすらん所にだにたづかむとねがひたまひししるしにや、つひにうせたまひぬれば、またこれを悲しびおぼすことかぎりなし。

 御子みこつになりたまふとしなれば、このたびはおぼりてひ泣きたまふ。としごろ、れむつびきこえたまひつるを、たてまつり置く悲しびをなむかへかへすのたまひける。

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  • なれむつぶ【馴れ睦ぶ】:なれ親しむ。
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今は内裏うちにのみさぶらひたまふ

 今はうちにのみさぶらひたまふ。ななつになりたまへば、読書ふみはじめなどせさせたまひて、世にらずさとかしこくおはすれば、あまりおそろしきまで御覧ず。

「今はれもれもえにくみたまはじ。母君なくてだにらうたうしたまへ」

 とて、弘徽こき殿でんなどにも渡らせたまふ御供には、やがて御簾みすの内にれたてまつりたまふ。いみじき武士もののふ、あたかたきなりとも、てはうちまれぬべきさまのしたまへれば、えさしはなちたまはず。

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  • ふみはじめ【読書始・書始め】:はじめて漢籍の講義をく儀式。
  • らうたし:をさないもの、弱いものをかばってやろう、守ってやろうという同情を誘う語。
  • みす【御簾みす】:貴人のいる部屋のすだれ。
  • もののふ【武士】:朝廷みかどつかえた文武百官。
  • あたかたき【仇敵】:憎い相手。
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御子みこたち二所

 女御子をんなみこたちふたところ、この御はらにおはしませど、なずらひたまふべきだにぞなかりける。御方々おんかたがたも隠れたまはず、今よりなまめかしうづかしげにおはすれば、いとをかしう打ちとけぬあそくさに、れもれもおもひきこえたまへり。

 わざとの御学問がくもんはさるものにて、こと、笛のにもくもひびかし、すべてひ続けばことごとしう、うたてぞなりぬべき人の御さまなりける。

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  • なまめかし【生めかし・艶かし】:若々しく美しい。みずみずしい。優美である。上品である。
  • はづかしげ【づかしげ】:こちらがずかしくなるほど派なさま。
  • うちとく【打ち解く】:なれ親しむ。隔てがなくなる。
  • あそびぐさ【遊びくさ】:遊び相手。
  • わざと【態と】:本格的に。
  • くもゐ【雲居】:宮中。
  • うたて:ますます。いっそう。気味悪く。む。
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現代語訳

桐の花

 月日が経ち、若宮が宮廷へまゐられました。いよいよこの世の者ではなく、清らかに美しく成長されているので、帝はさすがに不吉だとお思いになられています。

 明くる年の春、皇太子がお決まりになる時にも、帝は一の宮をさしいて若宮に越えさせたいとつよく思われましたが、若宮には後をするであろう人もおりません。また、世の同意を得られそうにもないことですので、かえって危険が及ぶのではないかと遠慮なさい、顔色にもおしにならずにおられました。

「それほどに若宮を思っていらっしゃったとはいえ、さすがにかぎ界があったということでしょう」

 と、世の人々もうわさし、弘徽こき殿でん女御も心が落ち着きになりました。

 かの若宮の御祖母、北の方は慰めるすべもなく思い沈み、せめて娘の更がおいでになる所にたづねておこなこうと願っておられました。そのしるしが現れたのでしょうか、とうとうお亡くなりになってしまいましたので、帝がまたこれを悲しく思われることはかぎりもありません。

 若宮は6歳になられる年でありましたので、このたびは死をご理解なさり、し慕って泣いておられます。祖母君は、年ごろは馴れ親しんで仲睦まじくされていた若宮を、成長を届けることなく置いて逝く悲しみを、くり返しくり返し申し上げておられました。

 今は内裏うちにばかりいらっしゃいます。7歳になられると、帝は読書始(学問の始まりとして漢籍の読み方をならう儀式)などをおこなわせなさいました。世にらぬほど聡明で賢くいらっしゃるので、あまりに恐ろしき者とまで御覧になります。

「今はも彼も憎むことなどできないでしょう。母君がいない若宮を、せめていたわってあげてください」

 とおっしゃって、弘徽こき殿でんなどにもお渡りになる時の御供に連れては、やがて御簾みすの内に入らせなさいます。並々ならぬ武士や敵たい者であろうとも、若宮をてはついほほまずにはいられない様になられるので、さし放つことができません。

 皇女たちがお二方、弘徽こき殿でん女御の御はらの子にいらっしゃるけれども、若宮になぞらえられることさえもないのでした。他の方々もお隠れにはならず、今よりもう艶めかしく、こちらが気ずかしくなるほど気品にあふれていらっしゃるので、愛嬌たっぷりで必ず打ち解けてしまう遊び相手に、も彼もが思い申されました。

 本格的な学問はさることながら、ことや笛の音についても宮中を響き渡らせ、すべてい続けてみても、何でもことごとく異様にできてしまう人の御姿でした。