第1帖「桐壺」(11)月日経て、若宮参りたまひぬ

出典:国立国会図書館「NDLイメージバンク」

原文・語釈
月日経て、若宮参りたまひぬ
月日経て、若宮参りたまひぬ。いとどこの世のものならず、きよらにおよすげたまへれば、いとゆゆしう思したり。
明くる年の春、坊定まりたまふにも、いと引き越さまほしう思せど、御後見すべき人もなく、また、世のうけひくまじきことなりければ、なかなか危ふく思し憚りて、色にも出ださせたまはずなりぬるを、
「さばかり思したれど、限りこそありけれ」
と、世人も聞こえ、女御も御心おちゐたまひぬ。
あの御祖母北の方、慰む方なく思し沈みて
かの御祖母北の方、慰む方なく思し沈みて、おはすらん所にだに尋ね行かむと願ひたまひししるしにや、つひにうせたまひぬれば、またこれを悲しび思すこと限りなし。
御子六つになりたまふ年なれば、このたびは思し知りて恋ひ泣きたまふ。年ごろ、馴れむつびきこえたまひつるを、見たてまつり置く悲しびをなむ返す返すのたまひける。
今は内裏にのみさぶらひたまふ
今は内にのみさぶらひたまふ。七つになりたまへば、読書始などせさせたまひて、世に知らず聡う賢くおはすれば、あまりおそろしきまで御覧ず。
「今は誰れも誰れもえ憎みたまはじ。母君なくてだにらうたうしたまへ」
とて、弘徽殿などにも渡らせたまふ御供には、やがて御簾の内に入れたてまつりたまふ。いみじき武士、あたかたきなりとも、見てはうち笑まれぬべきさまのしたまへれば、えさし放ちたまはず。
女御子たち二所
女御子たち二所、この御腹におはしませど、なずらひたまふべきだにぞなかりける。御方々も隠れたまはず、今よりなまめかしう恥づかしげにおはすれば、いとをかしう打ちとけぬ遊び種に、誰れも誰れも思ひきこえたまへり。
わざとの御学問はさるものにて、琴、笛の音にも雲居を響かし、すべて言ひ続けばことごとしう、うたてぞなりぬべき人の御さまなりける。

現代語訳

月日が経ち、若宮が宮廷へ参られました。いよいよこの世の者ではなく、清らかに美しく成長されているので、帝はさすがに不吉だとお思いになられています。
明くる年の春、皇太子がお決まりになる時にも、帝は一の宮をさし引いて若宮に越えさせたいと強く思われましたが、若宮には後見をするであろう人もおりません。また、世の同意を得られそうにもないことですので、かえって危険が及ぶのではないかと遠慮なさい、顔色にもお出しにならずにおられました。
「それほどに若宮を思っていらっしゃったとはいえ、さすがに限界があったということでしょう」
と、世の人々もうわさし、弘徽殿女御も心が落ち着きになりました。
かの若宮の御祖母、北の方は慰めるすべもなく思い沈み、せめて娘の更衣がおいでになる所に尋ねて行こうと願っておられました。そのしるしが現れたのでしょうか、とうとうお亡くなりになってしまいましたので、帝がまたこれを悲しく思われることは限りもありません。
若宮は6歳になられる年でありましたので、このたびは死をご理解なさり、恋し慕って泣いておられます。祖母君は、年ごろは馴れ親しんで仲睦まじくされていた若宮を、成長を見届けることなく置いて逝く悲しみを、くり返しくり返し申し上げておられました。
今は内裏にばかりいらっしゃいます。7歳になられると、帝は読書始(学問の始まりとして漢籍の読み方を習う儀式)などを行わせなさいました。世に聞き知らぬほど聡明で賢くいらっしゃるので、あまりに恐ろしき者とまで御覧になります。
「今は誰も彼も憎むことなどできないでしょう。母君がいない若宮を、せめていたわってあげてください」
とおっしゃって、弘徽殿などにもお渡りになる時の御供に連れては、やがて御簾の内に入らせなさいます。並々ならぬ武士や敵対者であろうとも、若宮を見てはついほほ笑まずにはいられない様になられるので、さし放つことができません。
皇女たちがお二方、弘徽殿女御の御腹の子にいらっしゃるけれども、若宮になぞらえられることさえもないのでした。他の方々もお隠れにはならず、今よりもう艶めかしく、こちらが気恥ずかしくなるほど気品にあふれていらっしゃるので、愛嬌たっぷりで必ず打ち解けてしまう遊び相手に、誰も彼もが思い申されました。
本格的な学問はさることながら、琴や笛の音についても宮中を響き渡らせ、すべて言い続けてみても、何でもことごとく異様にできてしまう人の御姿でした。
