第1帖「桐壺」現代語訳と原文(3)この御子、三つになりたまふ年

第1帖「桐壺」現代語訳(3)
この御子が3歳になられた年の、袴着の儀式のことです。一の宮がお召しになった袴に劣らないよう、帝は宮中の貴重な装飾品を惜しみなく使い、式を盛大に執り行わせました。
それにしても世間では非難ばかりが多かったのに、この御子が成長してゆかれるにつれて、生まれつき整ったお顔、才気あふれるお姿が、世にまたとないほど輝いてまいりましたので、女御たちもさすがに嫉みきれません。分別のある人は、
「こんなにも選ばれし者が世に現れることもあるのか」
と、驚きあきれんばかりに目を見張っています。
その年の夏、桐壺更衣は意識がぼんやりとする気鬱な病を患い、実家に下がって養生したいと申し出ました。しかし帝は、少しの休暇も許してくださいません。ここ数年、いつも病気がちでしたので、すっかりなれてしまった帝は、
「今しばらく様子をみよう」
とおっしゃるばかり。病は日に日に重くなり、ほんの5~6日でひどく弱ってしまいました。
更衣の母君が泣く泣く帝に申し上げることで、ようやく実家へ下がることが許可されました。このような時でも、女御たちに想定外の恥をかかされてはいけないと用心して、更衣はこっそりと退出なさいます。
規則により、穢れである病人を宮中にとどめ置くことは禁忌とされているため、帝もそうむやみに更衣を引きとどめることはできません。帝という神聖な立場であるがゆえに、病人を見送ることさえ許されないもどかしさを、言葉にできないほど感じておられます。
更衣はとてもつややかで美しい人であったのに、今やすっかりやつれてしまいました。いたたまれない寂しさをしみじみと感じながらも、言葉に出して申し伝えることもできません。生きているのか死んでいるのかわからないほど弱々しく、そのまま消え入りそうに退出していきます。衰弱しきった更衣を御覧になった帝は、過去を振り返ることも、将来を考えることもできなくなってしまいました。
涙を流しながらあれこれとお約束なさいますが、更衣はお返事を申し上げることもできません。目のまなざしにもまったく力が感じられず、体はいつにも増してなよなよとしています。自分も分からないほどもうろうとした意識でうつむいているので、帝は「どうすることもできないのか」と気が動転しています。特別に手車で宮中に出入りすることなどを許可されてからも、帝はまた更衣の部屋にお入りになり、どうしても手放すことができないのでした。
「死ぬ時は一緒だと約束していたのに、まさかわたし一人を置いては行けないでしょう」
とおっしゃる帝の姿を、更衣もたいそう切なくお見上げして、
限りとてわかるる道の悲しきにいかまほしきは命なりけり
「このように生きたいと、強く思っておりましたなら」
と、息も絶え絶えに、まだ何か申し伝えたいことがありそうに見えましたが、あまりに苦しくて話す力も出ないようです。帝は歌を返すこともなく、宮中の禁忌を破って、更衣の成り行きをこのまま最後まで見とどけたいとお思いになります。
しかし更衣の母君が、
「今日から始まる祈祷のもろもろを、しかるべき専門の方々が準備しております。それが今夜からでして」
と、申し上げて急がせるので、帝は仕方なく、辛いお気持ちのまま退出を許可されました。

第1帖「桐壺」原文(3)
この御子、三つになりたまふ年
この御子、三つになりたまふ年、御袴着のこと、一の宮のたてまつりしに劣らず、内蔵寮、納殿のものを尽くしていみじうせさせたまふ。
それにつけても、世のそしりのみ多かれど、この御子のおよすげもておはする御容貌、心ばへ、ありがたくめづらしきまで見えたまふを、え嫉みあへたまはず。ものの心知りたまふ人は、
「かかる人も世に出でおはするものなりけり」
と、あさましきまで目をおどろかしたまふ。
その年の夏、御息所、はかなき心地に
その年の夏、御息所、はかなき心地にわづらひて、まかでなんとしたまふを、暇さらにゆるさせたまはず。年ごろ、常の篤しさになりたまへれば、御目馴れて、
「なほしばしこころみよ」
とのみのたまはするに、日々に重りたまひて、ただ五六日のほどにいと弱うなれば、母君泣く泣く奏して、まかでさせたてまつりたまふ。かかる折にも、あるまじき恥もこそと心づかひして、御子をばとどめたてまつりて忍びてぞ出でたまふ。
限りあれば、さのみもえとどめさせ
限りあれば、さのみもえとどめさせたまはず。御覧じだに送らぬおぼつかなさを言ふ方なく思さる。
いと匂ひやかにうつくしげなる人の、いたう面痩せて、いとあはれとものを思ひしみながら、言に出でても聞こえやらず、あるかなきかに消え入りつつものしたまふを御覧ずるに、来し方行く末を思しめされず。
よろづのことを泣く泣く契り
よろづのことを泣く泣く契りのたまはすれど、御いらへもえ聞こえたまはず、まみなどもいとたゆげにて、いとどなよなよと、我かの気色にて臥したれば、いかさまにと思しめしまどはる。手車の宣旨などのたまはせても、また入らせたまひて、さらにえゆるさせたまはず。
限りあらん道にもおくれ先立たじと
「限りあらん道にもおくれ先立たじと、契らせたまひけるを、さりともうち捨ててはえ行きやらじ」
とのたまはするを、女もいといみじと見たてまつりて、
限りとてわかるる道の悲しきにいかまほしきは命なりけり
「いとかく思ひたまへましかば」
と息も絶えつつ、聞こえまほしげなることはありげなれど、いと苦しげにたゆげなれば、かくながらともかくもならんを御覧じはてんと思しめすに、
「今日始むべき祈りども、さるべき人々うけたまはれる、今宵より」
と聞こえ急がせば、わりなく思ほしながらまかでさせたまふ。
