第1帖「桐壺」(2)初めよりおしなべての

国貞『源氏香の図』
典:国会図書館「NDLイメージバンク」

原文・語釈

初めよりおしなべての

 初めよりおしなべての上宮仕うへみやづかへしたまふべききはにはあらざりき。おぼえいとやむごとなく、上衆じやうずめかしけれど、わりなくまつはさせたまふあまりに、さるべき御あそびの折々をりをり、何ごとにもゆゑあることの節々ふしぶしには、まづのぼらせたまふ。

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  • おしなべて【押し並べて】:ふつうに。ありきたりに。
  • うへみやづかへ【上宮つかえ】:天皇のそばで日常の用を勤めること。
  • じゃうずめかし【上衆めかし】:高貴な人らしいようすである。
  • わりなし:道理に合わない。はなはだしい。無理にするさま。
  • まつはす【纏はす】:まといつく。まとわりつく。
  • あそび【遊び】:管絃・詩歌などの遊び。
  • ゆゑ【故】:由緒。趣。風情。趣味のよさ。教養。
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ある時にはおほ殿こもぐして

 ある時には大殿籠おおとのごもぐして、やがてさぶらはせたまひなど、あながちにまへ去らずもてなさせたまひしほどに、おのづからかろかたにもえしを、この御子みこ生まれたまひてのちはいと心ことにおもほしおきてたれば、
ばうにも、ようせずはこの御子みこたまふべきなめり」
 と、一の御子みこ女御にようごおぼうたがへり。人よりさきまゐりたまひて、やむごとなき御おもひなべてならず、御子みこたちなどもおはしませば、この御かたいさめをのみぞなほわづらはしう、こころぐるしうおもひきこえさせたまひける。

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  • おほとのごもる【おほ殿こもる】:おやすみになる。寝ごす。
  • あながち【つよち】:むりやりなさま。
  • さらず【去らず】:そばから離れないようにして。
  • こころこと【心異・心殊】:格別にすぐれているさま。
  • おきつ【掟つ】:り決める。
  • ばう【坊】:東宮坊の略。皇太子。
  • ようせずは【能うせずは】:悪くすると。ひょっとすると。
  • ゐる【居る】:(天皇・皇后・斎宮などの)位に就く。
  • なべてならず【並べてならず】:並おほ抵ではない。格別だ。
  • いさめ【諌め】:忠告。諫
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かしこき御陰を頼みきこえながら

 かしこき御かげを頼みきこえながら、おとしめきずを求めたまふ人はおほく、わが身はか弱くものはかなきありさまにて、なかなかなるものおもひをぞしたまふ。
 御つぼね桐壺きりつぼなり。あまたの御方々かたがたぎさせたまひて、ひまなき御前渡まへわたりに、人の御心を尽くしたまふもげにことわりとえたり。

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  • かしこし【畏し・恐し】:恐れおほい。尊い。
  • きずをもとむ【きずを求む】:人の欠点や失をあら探しする。
  • なかなかなり【中中なり】:なまじっかだ。
  • ひまなし【いとまなし】:ひっきりなしである。
  • まへわたり【前渡り】:らずにかよぎること。
  • こころつくす【心尽くす】:心をすり減らす。気をもむ。
  • げに【実に】:まったく。いかにも。
  • ことわりなり【理なり】:当然である。もっともである。
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まゐう上りたまふにも、あまりうちしきる

 のぼりたまふにも、あまりうちしきる折々をりをりは、打橋うちはし渡殿わたどののここかしこの道にあやしきわざをしつつ、御おくむかへの人のきぬすそへがたくまさなきこともあり。またある時には、えらぬだうをさしこもめ、こなたかなた心を合はせて、はしたなめわづらはせたまふ時もおほかり。

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  • うちしきる【打ち頻る】:同じことがたび重なる。
  • うちはし【打ち橋】:殿舎と殿舎の間に渡した板のかよ路。
  • わたどの【渡殿】:屋根のある廊下。渡り廊下。
  • あやし【奇し・怪し】:異常だ。けしからん。
  • まさなし【正無し】:苦しい。みっともない。
  • めだう【馬道】:内裏うちの殿舎の中央を貫かよするかよ路。
  • さしこむ【鎖しこもむ】:戸や門を固く閉ざす。
  • こなたかなた【此方彼方】:こちらとあちら。
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ことにふれて、数らず苦しきこと

 ことにふれて、数らず苦しきことのみされば、いといたうおもひわびたるを、いとどあはれと御覧じて、後涼殿こうらうでんにもとよりさぶらひたまふかうざうをほかにうつさせたまひて、うへつぼねにたまはす。そのうらみましてやらんかたなし。

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  • おもひわぶ【おもひ詫ぶ】:どうしたらよいのかわからなくなる。
  • ざうし【曹司】:宮中に儲けられた役人や女官などの部屋。
  • うえつぼね【上局】:天皇の御座所近くに賜る、女御や更の控えの間。
  • やらむかたなし【遣らむ方無し】:心を晴らすすべがない。
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現代語訳

桐の花

 その人はもともと、普かよの宮つかえをなさるような軽い身分ではありませんでした。後宮での評判はとても高く、貴人らしく振る舞っておられたのです。けれども、帝が節度を越えて側に付きわせるあまり、宮中で催される管絃のお遊びや、何でも風情ある催し事があるたびに、真っ先にその人をお呼びせなさいます。ある時は日が高くなるまで一緒に寝ごされ、その日もそのまま帝の側につかえるなどということもあったのです。帝が一途にその人を側から離さないので、軽々しく扱われている身分にえることもありました。

 それがこの美しい若君がお生まれになってからは、たいそうな特別扱いを心に決めておられる様子です。第一皇子みこの母君は、

「悪くすると、この若君が皇太子になるかもしれない」

 と疑い始めました。よりも先に後宮へ入り、帝の御寵愛も並おほ抵ではなく、第一皇子みこの他にも御子みこたちをお産みになった女御です。このお方のご意だけはどうにも無視できず、帝は気がかりに感じておられました。

 その人は尊い帝の御庇護を頼りにしておりましたが、上から目線で欠点をあら探しする女御たちがおほ勢います。体はか弱く、心は繊細な人でしたので、なまじ御寵愛を受けたばかりにかえって気苦労をなさいます。

 更のお部屋は桐壺です。帝がいらっしゃる清涼殿から遠く離れており、桐壺へかようには女御たちが待つ部屋の前をいくつもかよる必要がありました。帝は途中の部屋にることなく、しかも足しげくかよわれるのですから、素かよりされた女御たちが嫉妬するのはいかにも当然なことと思われます。

 更が清涼殿へまゐ上される際も、あまりに頻繁に繰り返される場合には、殿舎へ渡る橋や廊下のあちこちに、えげつないいたずらをつか掛けられました。更の送迎に付きう女房たちの着ものの袖が、我慢ならないほどダメになってしまうこともあります。ある時には、どうしてもかよらないといけないかよ路の戸を閉じ、更おこなの先頭側と後尾側とで息を合わせて鍵をかけ、そのかよ路の間に閉じ込めたことも。このように更たちをいじめて、侮辱することがおほかったのでした。

 何かあるたびに、イジメは数えきれないほど増すばかり。更はもうどうしていいのかわからず、ひどく思い詰めておられました。その様子を「なんとかわいそうに」と御覧になった帝は、清涼殿の隣りにある後涼殿にもともと住んでいた更に、他の部屋へ移るよう命じます。そしてその部屋を桐壺更にお与えになり、清涼殿へされた際の控えの部屋として使わせるようにしたのです。追いされた側の更は、恨みを晴らすすべもなく、途方に暮れたことでしょう。